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採択奨学生の動き

第3期奨学生インタビュー第3回

日本財団夢の奨学金の奨学生には、アートの世界で夢を実現させようと研鑽を積む学生も少なくありません。3期生3回目のインタビューの相手は、東京藝術大学大学院映像研究科2年の阿部天音さん。取り組んでいる創作活動、それにクリエーターとして今考えていることを率直に語ってくれました。

 

 

阿部天音、24歳。夢は短編アニメーション作家

 

その日、横浜市は外国人観光客の姿がいつもより多く感じられた。道路に面したテラス席でビールを片手に話し込む彼らは、ラグビーのユニフォームで身を包んでいる。前日には、近くのスタジアムで、W杯ニュージーランド対南アフリカの熱戦が繰り広げられたばかりだ。

 

阿部さんとは、そんな街の一角で待ち合わせた。散髪したばかりの整った髪型で、あいさつの声も弾む。話を振ると、周りの喧騒を受け流す穏やかな雰囲気で、「僕、スポーツにはあまり興味がないんです。人込みも苦手で」とさらりと言った。

 

校舎周辺には、横浜赤レンガ倉庫など文化施設も多い

 

プロデューサーの立場でアニメを作る

 

阿部さんが所属する映像研究科は、横浜市の横浜キャンパスにある。映画専攻、メディア映像専攻、アニメーション専攻に分かれていて、自身はアニメーション専攻。1学年に15、16人ほどの学生がいて、社会人経験者も数人いるという。

 

「他にもアニメーションを学ぶ場所はあるけれど、藝大の大学院の面白さは、プロデューサーの作業を体験できること」と阿部さんは説明する。

 

「アニメーターという技術者ではなく、一つの作品を作るプロデューサー、つまり監督のようなことができるんです。例えば、アニメーションの作品には音楽も必要ですが、そのマスタリングをするなど、作品をトータルで完成させる作業をやっています」

 

「音楽では音環(音楽学部音楽環境創造科)の学生とのコラボレーションもあるんですよ。映像研究科の学生と、音環の学生が、互いに自分がやりたいこと、やれることのプレゼンテーションをして、教授がマッチングしてくれる。藝大ならでは、ですね」

 

音環の学生は東京都・北千住にいるし、スタジオも限られるので、物理的にも共同作業は簡単ではない。自分のペースで制作を進められずもどかしい思いもするが、「実際の仕事の現場もそうだと思います。それを学びながらやっている、って感じです」

 

通学に使うバックパック。水分補給は欠かせないので、水筒はいつも携帯している

 

2年生の現在、修了制作に取り組んでいる。修了論文のような位置づけのものだ。作るのは、5~6分の短編アニメーション。「自分の過去」をテーマに据えた。児童養護施設での経験から着想を得た作品になる見通しという。

 

テーマをこれに決めたのは、夏の韓国留学中だった。

 

「学校では、アジアの学生と共に学べる短期留学の機会として、日中韓共同のプログラムが設けられています。それで1年の時に中国、今年は韓国に行きました。もともと、舞台芸術やダンスに興味があったんですが、向こうで過ごしているうちに、考えが変わりました」

 

韓国は日本で言われているようなイメージとは実際のところ違って見えた。外から日本を見ると、これもまた、これまでとは違って見えた。いろいろな刺激が化学反応を起こし、結果、自分の過去をテーマにした作品を作ろうと思い立ったという。

 

ただ、自分で決めたとは言え、逡巡もしている。3カ月間の留学の終わりに、教授や他の学生たちの前でプレゼンテーションをしたが、「英語とは言え、過去を出すのはつらかった」と振り返る。「つらい道を選択したのかも」「怖さもある」と出てくる言葉には苦悩がにじむ。

 

描くのは、幼稚園の頃のある出来事。自分の価値観に大きな影響をもたらした出来事に焦点を当てるが、詳細は模索中。夏も終わり年度の後半に差し掛かった今、とにかく絵を描き、考えをまとめて前に進めなければならない。

 

日々の生活は、夜型だ。短期集中講義などがない限り、コマは埋まっていない。月の半分は登校しない状態で、空き時間は読書などもっぱらインプットに費やす。お金がかかるから外にはあまり出かけない。たまった家事を1日かけてやることもある。

 

仕事をしている学生が多いからか、学校にはサークルはない。バイトはしている。塾講師だ。クリエイティブな分野に進学を希望している中国人留学生に向けて、週に1回日本語で、進学に向けた内容を教えている。

 

「自分も勉強になりますし、楽しいです。家にいたら兄弟や友人とスカイプをして話しますが、学校では集まって話し込む雰囲気はあまりありません。しゃべらないで1日が終わることが多い中、塾講師は人とコミュニケーションをとる貴重な機会になっています」

 

休憩スペースにも創作活動に必要な機材がいっぱい

 

アニメが好き。“好き”を仕事にしたいが

 

アニメーションが好きになったのは、高校生の時だった。まず心を奪われたのは、“深夜枠”で放送されている美少女アニメ。そこから広がって、メジャーな作品はほとんど観た。そのうちに、技術的なことに興味を持った。「これって、1枚いちまい、人が描いているんだ」。愛らしいキャラクターたちも、「実は、おっさんたちが描いている」。ギャップも面白かった。

 

アニメーターを志し、高校卒業後は制作が学べる4年制大学に進学した。学校では理論と技術を吸収した。授業で短編アニメーションに触れるうち、観る作品は日本のテレビアニメから海外の短編アニメーションに移り、上映会にも足しげく通った。感性が磨かれ、好みの作品に出合い、自分のスタイルを見つけていったのもこの時期だ。卒業制作に取り組み、もっと勉強したいと思ったのは当然の流れだったかもしれない。

 

ただ、懸念もあった。

 

「めちゃくちゃ調べて、調べた結果、仕事としてはきついと思ったんです。そう、お金の問題。実家にも頼れず生きていかなければならない施設出の自分がアニメーターになるなんて、貧乏街道まっしぐらですよ。アニメは好きですが、アニメーターはやばいと」

 

アニメーターという技術職ではなく、アニメ作品を生み出す作家になろう、と軌道修正した。そこで、目を向けたのが東京藝術大学。著名アーティストを輩出している、名高いこの大学の大学院に入れたら、この道で頑張ろう。それがだめならあきらめようと心に決めた。

 

大学院の1次試験はスケッチ。実はスケッチが大好きで得意でもあった。大学2年生の時から、スケッチブックとペンを持って、街で描写を続けていたからだ。動いている実際の人々を観察し、流れる時間の一瞬を切り取ってスケッチブック上に再現する。お店の中で座り、あるいは街角で立ったまま、この作業を繰り返した。ペンを走らせたスケッチブックは何冊にも上った。「気付けば、周りの人よりも上手に書けるようになっていたんです」

 

スケッチブックには、街頭の様々な場面が描写されている

 

2次試験は面接だった。大学時代に多くのアニメーション作品を観てきていたのが幸いした。「自分の求めるスタイルと、好きな作家のスタイルを一致させてうまく発表ができた」。すでにクリエイティブな分野で仕事をしている社会人らに交じって、狭き門を突破した。

 

自分の人生は自分のもの、に感じるつらさ

 

社会的養護の子になったのは、2、3歳の頃だった。乳児院にもいたことがあり、18歳の高校卒業まで児童養護施設で過ごした。理由は「両親が二人ともいなくなった」からだと聞いている。母は亡くなり、父は「逃げた」らしい。

 

「僕は、施設に生かされてきたんですよ。自分の力を出して生きてきたという感覚ではないんです。流しそうめんのよう。自分で決めるというより、周りのサポートの中で流れていくという感じでした」

 

大学進学に向けても、美大、芸大に行きたいという自分の希望を叶えられるよう施設がサポートしてくれた。18歳で児童養護施設からは巣立ったが、学部の4年間は、完全な独り暮らしではく、支援的要素のある寮で暮らした。

 

大学院に進学して、いよいよ独りでの生活になった。サポートから離れ、実社会に出るカウントダウンの中にいる。「毎日、将来どうしよう…と思っています」。ストレスから逃れられない。

 

将来について語る阿部さん

 

「今まで施設にいて、周りのサポートがあり、大人が背中を押してくれていました。大学院に進学してから、そういう背中を押してくれる“手”はもうありません。施設で育ちの子は、施設にいる間、衣食住が保証されているし、奨学金制度も最近整ってきていて、進学に関する選択肢が増えてきています。でも、施設を出ると、24時間相談に乗ってくれる大人はもういないことに気付かされる。自分の人生は自分のもの。それが怖いんです」

 

制作に関しても、「モチベーションは完全にそがれている状態」。大学院進学時がピークで、下降の一途をたどっているという。

 

「学校の先輩を見ていても、やりたいことを実現できる就職は簡単ではない。卒業後は、僕も塾のバイトでシフトを増やしてもらったりしながら、生活するのかな、と漠然と考えています。ストレートで進学してしまったので、まずは将来のことを、1年ぐらいかけて考えたい気もします」

 

「世の中でお仕事をしていくために、間口を広げていかなければと思いますが。自分のスタイルの作品で、思うように評価が得られず、自信もなくなりかけているかな。一番の目標は楽しくアニメーションを作っていくことなんです。楽しく、というのが大事だなと今思っています」

 

似た境遇の仲間がいる

 

夢の奨学金の良さを問われ、「進学の選択肢が一つ増えたこと」と即答した。

 

「給付型の夢の奨学金を利用したら藝大に行けるかも、と進学を本格的に考えたんです。藝大への進学を決めて、奨学金を探したんではありません。この先、借金をさらに背負ってまで、大学院に行くのは自殺行為だと思っていましたからね。あくまでも、夢の奨学金があったから、なんです」

 

ただ、一番の良さは別にあった。それは、「似たような境遇の、いろんな考えの人に会えること」。理由は、自分を客観的に見られるようになれるから。そして、もう一つ。

 

「社会的養護の子だった過去は、その後の人生で、ボディブローのように効いてくるような気がします。例えば過去をどう話していくか。施設では職員が何でも聞いてくれるし、不快感も与えないで済む。ただ、それ以外の場所では、自分たちの思い過去の話を突然出してしまった時、理解してくれる人もいる中、ほとんどの人が戸惑いや偏見の目を向けてくる。だから、奨学生が集まる場は、過去を出せる、トレーニングができる機会だと思うんです」

 

ボティブローのように効いてくる過去。それに向き合い、将来への不安にも耐え得る大人になれるか。クリエーターとして、社会人として、自立するための闘いは続く。

 

年明けまで修了制作に取り組む

 

 

社会的養護の後輩、申請を予定している人へのメッセージ

 

「誰もが輝かしい実績を残しているわけではないから、大丈夫」

 

「社会人になると悩む暇がなくなるから、学生のうちに沢山悩んで過去と向き合う時間を作ってほしい。金銭的、精神的な余裕を作るための奨学金だから」