SCHOLAR

採択奨学生の動き

第3期奨学生インタビュー第2回

「全員反対」に負けず、奨学金を自分でつかんで進学へ

 

社会的養護の子どもたちは、進学を積極的に応援してもらえない環境に置かれることが少なくありません。日本財団夢の奨学金の奨学生にも、そうした事情を抱えていた学生が多くいます。3期生2回目のインタビューに応じてくれた中川咲夏さんもその一人。岡山県内の看護学校で学ぶ今の生活と、これまでのことを話してくれました。

 

 

中川咲夏、20歳。夢は看護師

 

8月24、25日に東京都内で開かれた奨学生の交流会に、中川さんは岡山県から参加した。学校行事や就職活動のための欠席者が少なくない中、これまでほぼ皆勤だ。「岡山からだと飛行機より新幹線の方がちょっと楽」ということで、今回も新幹線に何時間も乗っての上京。地方に住む奨学生と比べて、東京で開かれる交流会への参加は移動が大変だが、「交流会は楽しみなので」と意に介さない。

 

交流会終了後、帰りの新幹線に乗る前にインタビューの時間を取ってくれた。「地元の山口に帰省して友人に会った」「岡山の海を見に行った」。夏休み中の近況を話す表情も明るい。

 

「学校に住む」学生生活

 

現在、岡山県内の専門学校で看護を学んでいる。「結構忙しい」毎日だ。

 

学校が始まるのは午前9時で、最後の授業が終了するのは午後4時半。だが、ここで帰宅とはならない。自習が待っている。

 

「例えば、採血と筋肉内注射の練習です。授業ではやり方は習いますが、練習はないんです。テストの日までにできるようにしなければいけないので、自習は欠かせません」

 

採決や注射の練習は、針を刺すので人に対しては行わない。使うのは「人形」だ。会議室のような部屋に、病室さながらベッドがずらりと並べられ、そこに練習する相手の「人形」が「いる」。

 

「人形にはそれぞれ名前もついているんですよ。コミュニケーションも大切なので、実際の患者さんだと思って、『ちくっとしますよ~』とか話しかけます。学生全員が、応答のない人形相手に話し掛けながら注射している。周りから見たら、シュールな光景ですね」

 

マイ聴診器。色も自分で選び気に入っている

 

自習の時間は、グループワークの課題にも取り組む。例えば、Aさんという患者さんのケースが与えられ、それにどう対応するかというような課題だ。発表の形式は自由だったため、グループの仲間とアイディアを練り、患者さん用パンフレットに見立てたものを仮に作って発表したこともある。

 

下校するのはそうした自習を終えた午後6時ごろ。まず取り掛かるのは食材の買い物で、帰宅すると、これから食べる夕食、翌日の朝食、そして昼食まで3食作る。これができてからやっと夕食をとり、残りの宿題を片付け、眠る直前に入浴。午前1時ごろに寝て、午前7時に起きる。毎日の変わらないスケジュールだ。

 

夜、翌日の昼食まで作るのには理由がある。

 

「住んでいるのは学校の寮なんですが、実は学校の上(校舎の上層階)にあるんです。だから、学生はみんな、午前中の授業が終わると自分の部屋に戻って食事をし、昼の授業が始まる頃にまた下に降りてきます。昼食を作るのはお弁当のためではなくて、自宅で食べる作り置きです」

 

学校と自宅が同じ場所。“近所の住人”も全員が看護学生。看護の勉強に集中するにはもってこいの環境だが、その分、オンとオフの切り替えが難しい。「先生もそう言っているから」、土日は休むように心掛けている。ただし、学校ではサークル活動はなくバイトも禁止となっている。休みの日も、結局は友達と一緒に勉強しつつ、食事を持ち寄っておしゃべりしながら過ごすことが多い。

 

以前作ったペーパークイリングの作品(中川さん提供)

 

息抜きの楽しみとなる趣味は、小物づくりだ。「最近は全くやる時間がないけれど、高校ではまっていたのはペーパークイリングです」。細い紙を、爪楊枝などの細い棒に巻き付けクルクルとした造形にするペーパーアートだ。「高校生の時に図書委員長をやっていて、休み時間に司書の先生や友達と図書室に集まってよく作っていました。懐かしいな」

 

通っている看護学校は3年制。2年生の今は、ちょうど折り返し地点にあたる。派手な思い出作りも、毎日の息抜きの時間もあまりないが、学校の仲間とまずは国家試験合格を目指して勉強に打ち込む。

 

夢は「適切な支援ができる人」

 

夢の奨学金に応募する時、夢は看護師と書いた。今、そのために努力もしている。ただ、もしもっと正確に夢を説明しようとすると、看護師とは少し異なる。

 

「夢は『支援を必要とする人に、ニーズに合った適切な支援ができる人』になること。看護師が夢というより、ざっくりとした言い方ですが、相手のためになる支援をしたいという思いが強いんです」

 

「支援を必要とする人のために何かしたい」と思ったのは、施設の「先生」をはじめ、支援をしてくれる大人に多く接してきたからかもしれない。施設出身者の少なくない割合の人たちが、福祉職を選ぶ傾向がある。「自分もそうかも」と分析する。

 

ノートには勉強したことのまとめがぎっしり

 

中でも看護師を目指すようになったきっかけは、高校の時に受けた介護職員初任者研修だった。この研修を受けたのは「支援が必要そうな人はどんな人か」と考え、高齢者のことが思い浮かんだからだ。介護の仕事に就くことを考えていた。

 

研修は数日間、施設に実際に行って特定の利用者さんを受け持ち、お世話の方法を学ぶものだった。担当することになった女性の利用者さんは、車いす生活の人で、食事も介助が必要。ところが初日、食事を口に運んでも、全く食べてもらえなかった。何とかコミュニケーションを取ろうと話しかけたり、手を握っていたりして過ごしたが、その後もうまくいかなかった。

 

「ずっと食べてもらえなかったんです。でも、最後の日、なんと完食してくださった。しかも、『あなたのおかげで全部食べられたよ』って。うれしかった。こちらからコミュニケーションを取らなかったらこうはならなかったと気づきました。精神面でのケアも大事。心と体の両方のケアができる人になりたいと思って、その時に看護師になろうと決めました」

 

進学は全員反対、夢の奨学金申請も独りで

 

社会的養護の子になったのは、15歳の時。中学3年の10月だった。実は、家庭での問題は小学生の頃からくすぶっていた。小学6年の時に初めてスクールカウンセラーに事情を話し、保護も選択肢に入ったが施設は怖いと感じ、その時は家にいることを希望した。

 

中学3年で保護された時は、周りだけでなく自分も納得した。学校にほとんど通えておらず、施設に入ることが今は必要だと考えたからだ。

 

マイ血圧計。これも欠かせないグッズだ

 

暮らすことになった施設は、1舎につき20人以上がいる大舎と呼ばれる規模のところだった。廊下からすぐに他の人が窓を開けるなどプライバシーを保つことが難しいと感じた。施設の先生たちの態度や、子どもへの接し方に反感を持ったこともある。ただ、今振り返ると、先生も、夜勤明けでも帰れないなど労働環境による問題がある中で頑張ってくれていたと感じる。友人関係も「わりと良好」だった。

 

施設に入った時には転校もし、通学も再開した。もともと学校は好きだった。不登校の影響で学力はテストで0点を取るほどだったが、「勉強する気はあった」し、先生も根気よく教えてくれた。

 

遅れを取り戻そうと毎日必死に机にかじりついた。「あの時が、今までで一番勉強した時かなって思います」。努力の甲斐あって、その冬の高校受験では、私立2校、公立1校に合格できた。

 

高校に進学すると、積極的に学業や課外活動に励んだ。ボランティア活動への参加は、2年間で100時間にものぼり、県内の高校生ボランティア組織・青少年赤十字の役員にまでなった。そんな中で、飲食店等でのアルバイトもこなした。

 

「過去を思い出さないように、無理に忙しくしていたのかもしれません」

 

高校卒業後は就職するつもりだったが、前述の介護職員初任者研修を受けて、看護学校への進学に気持ちが傾いた。しかし、周りの大人から掛けられたのは、「無理だ」の一言。その施設では、親の援助なく進学した人はこれまでに1人もいなかった。

 

進学には大きなハードルがあった

 

3年の夏、「就職するならこの日までに手続きを」というギリギリの日まで悩んだ。受験して合格しても、お金のめどが立たなければ進学できない。就職先も決まっていないまま施設から出ていかなければならない可能性もある。大人が言うように就職を選択するのが無難な判断だ。

 

それに、看護学校に行って看護師にならなくても、看護助手として患者さんに接する仕事はできる。仕事をしながら准看護士を目指すこともできる。いずれも分かっていたが、それでも看護学校への進学は諦められなかった。就職へ舵を切れる最後の日、一か八か進学を選んだ。

 

高校2年の時、他にも乗り越えなければならない出来事が起きた。1年の頃から体の痛みが続いていたが、病院に行くと、死亡率が示されるほどの大病だと分かったのだ。

 

「卒業までに何とか治さないと、と必死でした。高校を卒業すると施設を出なければいけません。治ってなかったら、(社会的養護の対象から外れるので自分の力では)治療費を払い続けられなかった。治ったのは本当に幸いでした」

 

進学のためのお金は、奨学金が頼りだった。そこで各種の奨学金事業を調べ、秋の専門学校受験時には、夢の奨学金についても知っていた。「これに受かりたい」。施設の先生は「受かるのは優秀な人だけよ」と、と相手にしてくれなかったが、自分で何とかしようと腹をくくった。

 

「他の奨学生に後になって聞いたら、施設の先生に申請書類を添削してもらったり、面接の練習をしてもらったりしていた子もいたそうです。でも、私は書類を独りで書いて勝手に出した。それが逆に良かったのかもしれません。大人の意見に左右されず、自分の率直な思いを書けました。夢の奨学金の申請には保護者印もいらないので、それにも助けられました」

 

結果の封書が届いた時、見るのは正直つらかった。進学できるかの瀬戸際にあり、人生が変わる瞬間と分かっていたからだ。暮らしていた小規模ホームで、3つ下の女の子と丁度こたつに入っていた。開封すると合格。「受かったー」。歓声を上げると、一緒にいた女の子も自分のことのように喜んでくれた。

 

奨学生仲間は唯一の気の置けないコミュニティ

 

夢の奨学金に受かってなかったら、入学できていなかったという思いは強い。親からの援助は一切ない状態なので、お金をサポートしてもらえていることに深く感謝している。

 

夢の奨学金でありがたいと思うものは、お金以外にもある。奨学生仲間の存在だ。

 

交流会で奨学生仲間と談笑する中川さん

 

「自分の生い立ちについて、地元の友達にも実は話せていないんです。高校時代も、みんなが自宅へ遊びに呼び合っている時、自分だけそれができなかった。話せていないのは、今の学校でも同じです。でも、ここの仲間は、みんな話せて受け止めてくれる。私は施設とのつながりが薄いから、奨学生仲間が唯一の気の置けないコミュニティですね。気持ちが下がっていても、会っていると元気をもらえます」

 

3、4カ月に1度開かれる交流会は、パワーを蓄える大切な時間。どんなに疲れていても、忙しくても、参加が楽しみだと心から言える。今後も皆勤が続きそうだ。

 

 

社会的養護の後輩、申請を予定している人へのメッセージ

 

「施設にいた頃、七夕の短冊を書く時に、『夢はない』と言う子が多かった。実際は、夢はあるのに。夢は全員に持つ権利があるんだよ、って伝えたい」

 

「夢の奨学金は、他の奨学金と比べて条件がとてもいい。だから優秀な人しか受からない、自分は受かるはずない、と思うかもしれないけれど、あきらめずに挑戦してみてほしい」