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採択奨学生の動き

第2期奨学生インタビュー第4回

経験から生まれた夢は「子どもの居場所づくり」

日本財団夢の奨学金の奨学生には、二十歳を過ぎて進学を実現させた人もいます。インタビュー第4回はそんな一人、上智社会福祉専門学校保育士科1年、田中拓海さんです。

 

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田中拓海、21歳。夢は子どもの居場所づくり

 

待ち合わせは、午後2時、東京都新宿区の上智大学北門。学生や学校関係者の往来がちらほらあり、午後のゆっくりとした時間が流れていた。

 

現れた田中さんはグレーのセーター姿だった。奨学生の集まりで見せる、いつものシャープな服装とは少し違う。「保育士科で学んでいる奨学生のイメージに合うように服を選んできました」と笑顔で説明してくれた。

 

田中さんが案内してくれた上智社会福祉専門学校は、上智大学のキャンパス内にあり、授業は夜間2コマ。学生が働きながら学べる”夜学”だ。田中さんも週5日、午後5時50分から午後9時まで授業を受け、それ以外はコンビニエンスストアでアルバイトをしている。

 

保育士科で学んでいる科目をいくつか挙げてと頼むと、音楽、図画工作、心理学という答えが返ってきた。図画工作は、小学校の科目と同じ名称だが、ここでは色合いについて学んだり、実際に保育園などの現場で使う刃物などの使い方を習ったりする。心理学は幼少期の子どもの心についてはもちろん、一般的なことも広く学ぶそうだ。「保育士は、親の支援なんかもするんで」と田中さんは言葉を続けた。

 

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キャンパスを案内してくれた田中さん。「いつもはこんな明るい時間に来ないんですが」

 

授業が夜間にあるため、夕食は授業が終わった午後11時以降にとったり、時には授業中に済まさせたりすることもある。生活時間帯は深夜に押し気味だ。しかし、他の学校と同じくサークル活動もある。

 

学生は昼間働いているので、サークルの開始は授業の後の午後9時以降だ。フットサルといったスポーツ系から、シャローム(聖歌隊)などの文科系まで6、7つある。田中さんは、毎日参加するわけではないが、全てに関わっているという。

 

バレーボールとバスケットボールをする「バレバス」という名のサークルでは、1年生ながら部長を任されている。OBを含め約30人の所帯で、週に2回の活動日に倉庫の鍵を取りに行ったり、各種事務手続きを担当したりしている。

 

ただ、メンバーが活動できるように準備を整えるところまでやって、自分は帰宅することが多い。暮らしている自立援助ホームの門限が午後10時であるためだ。それなのに部長になったのは、誰も引き受ける人がいない状況だったからだと話す。

 

「基本的に2年生がやるんですが、やれる人がいなくて。だったら自分でよければやりますよ、ということになったんです」

 

「1年生ながら」と言える肩書がもう一つある。執行部会長だ。高校の生徒会長のようなもので、入学して2カ月後の昨年6月に就任した。これも「誰かがやらなきゃいけないから」という気持ちで手を挙げた。学校は3学科あり総勢100人ほどの規模だが、サークルへの幅広い参加とこの役職就任により、学内で田中さんを知らない人はいないと言っても言い過ぎではないようだ。

 

 

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愛用のカバン。学生生活ももうじき1年になる

 

その田中さんも日中は仕事だ。職場は住まいの自立援助ホームから徒歩で1分という好立地にあるが、働くのは夜間の学生生活をこなした翌日の午前6時から。仕事は決して楽ではない。登校に合わせた午後3時までのシフトを週3日こなし、それ以外の日も誰かが休むと代わりにシフトに入るので、実質的に週5日になることが多い。

 

そうまでしてバイトを続けるのは、「何かと物入りな生活費」に加え貯金が必要だからだ。「来年度以降、保育園での実習が始まるため、バイトを入れられなくなるんです。だから、今年度中にできるだけ貯えを増やさないと」と話す。

 

ただ、自立援助ホームにいる間は、奨学金は一つにすると決めている。住居費などがかからず生活は安定しているからだ。「自分が奨学金を受けることで、他に必要な子が受けられなくなってしまうのを避けたい」と真剣な表情で田中さんは説明した。

 

 

子どもたちの居場所をつくりたい

 

田中さんは夢の奨学金に応募した時、将来の夢を「児童養護施設職員」と書いた。「自分が接した職員のことが嫌いだったから、もっといい職員になってやろう、という気持ちでした」。しかし、この夢は通過点で、最終的にやりたいことは、別にある。

 

「子どもの居場所づくりがしたいんです。『学校に行きたくないけど、施設にもいたくない』。そんな子どもが過ごせる場所です。自分がいろんな施設を経験して、必要だと思いました」

 

この夢のため、今の学生生活に正直もどかしさを感じている。というのも、居場所づくりで想定している対象者は中高生。一方で、在籍している保育士のコースで学ぶ内容は、今のところ、ほとんどが乳幼児期についてとなってるからだ。

 

「手遊びや絵本などの読み聞かせなどをしています。保育士の就職先として、乳幼児と接する保育園などがその割合に上るのでしょうがないことですが、保育士は中高生にも対応する資格なんです」

 

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先輩からもらったエプロン。実習で使う予定だ(田中さん提供)

 

生まれてすぐに埼玉県内の乳児院に入り、2歳まで過ごした。理由は母親の育児放棄だった。その後、児童相談所と家を行ったり来たりする生活が9歳まで続いた。医師と準看護師の家庭だったが、田中さんのその頃の記憶には、両親の喧嘩や自身への暴力などが多く残っている。

 

9歳から14歳まで、埼玉県と千葉県の児童養護施設で過ごした。そこから18歳までは「”やんちゃ”では済まされないことをやってしまったので」、少年鑑別所を経験し、続いて千葉県の児童自立支援施設、その後に就職、そして東京都の自立援助ホームに落ち着いた。

 

その自立援助ホームに現在も暮らしているが、一度、ここを出た時期があった。18歳から19歳までの約1年間だ。問題を起こして「(自立援助)ホームから出されたような」、実社会デビューだった。

 

ホームから出たのは11月。未成年のため家を借りようとしても保証人が見つからず、しばらく路上生活を送った。仕事と家を探す毎日。「本格的な冬が来る前で助かりました」。12月に何とか家は確保できたものの、貯めていた貯金を使い果たし、精神的な要因から医師の勧めにより、翌年1月には生活保護を受けることになった。

 

「紹介してもらったヘルパーの仕事を出来る時はするんです。でも、働いても収入認定があり、働いて生活保護を抜け出すことは、とてもできませんでした」

 

その生活を1年続けた後の2016年、元いた自立援助ホームに戻ることになった。

 

 

進学を決意してからの短期決戦

 

様々な経験を通して冒頭の夢を見つけ、そのために進学を考え始めた田中さんは、自分で奨学金について情報収集した。その中で出会ったものの一つが夢の奨学金だった。

 

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上智大学キャンパス内にある専門学生専用の図書室

 

奨学金を利用して進学しようと決心したのは、2016年7月。受験まで半年しかなかった。高校を出ていなかったため、高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)にも合格する必要もあった。田中さんにとって、短い準備期間での大きな挑戦が始まった。

 

各種奨学金の申請を進めながら勉強を重ね、12月に無事、認定試験に合格。四年制大学に行くことも視野に入れた。しかし、ホームの職員から「四大に行ってついていけるのか」と質された。

 

「結局、専門学校のほうが良いという強い勧めに流される形で、志望校を選択することに。学科も、本当にやりたいことに適しているのかわからない中で、職員から『施設職員になりたかったら保育士だよ』と言われ、保育士科にしました。でも、社会福祉士の勉強をする学科も、もう少し検討したらよかったと、今になって思います」

 

年が明けて2017年1月、夢の奨学金から合格通知が届いた。その時の感想を聞かれ、「首がつながった」と田中さんは言う。実は他の団体の奨学金にも応募していて、最終選考まで残ったものの、直前に見送りになっていた。「夢の奨学金にも応募していることを伝えていたので、その合否を尋ねる電話が何回もかかってきていたんです」。結果がわかるまで時間がかかる中、先方がしびれを切らしたようだった。

 

 

夢の奨学金。大きなギフトは友人

 

夢の奨学金を得て、経済的に楽になったか。学費と基本的な生活費が支給される夢の奨学金は、とても条件のよい奨学金としたうえで、田中さんは「今は何とも言えない」と話す。自立支援ホームで暮らしているため、住居費などの支出が一人暮らしの場合より少ないからだ。一人暮らしをしてはじめてその答えが出ると考えている。

 

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インタビューに答える田中さん

 

生活費以外にも、生きていくうえで何かとお金は必要だと感じている。例えば田中さんは、何か問題を抱えた友人がいると様子を見に行ってあげずにはおれない。「この前は房総半島。往復で約4000円です。そういうのが重なると出費が多くなってしまうんです」

 

そんな田中さんが、夢の奨学金で得た一番のものとして挙げたのは「友人」だった。奨学生は全国に散らばり、めったに会うことはできない距離にいるが、関東圏内の学校には4人も集中して在籍している。奨学生の行事で度々顔を合わせるうちに、何かあったら助け合える仲間になっている。

 

夢の「子どもの居場所づくり」に向けて、学んでいる内容に迷いがあったり、経済的に不安もないわけではなかったりするが、日々の生活と、周りにいる友人を大切にして過ごしている田中さん。奨学生の一人からの「困っている人をほっとけない性格」という評価に、顔をほころばせた。

 

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学校のプレートの前で

 

 

社会的養護の後輩、申請を予定している人へのメッセージ

 

「進む道は自分で決めること。周りが何と言おうが、何かあっても周りは責任取ってくれないよ」

 

「支えられてもいいけど、依存してはダメだよ」