SCHOLAR

採択奨学生の動き

第1期奨学生インタビュー第7回

大学は「自分を見つめなおす時間」

4期生も加わって、奨学生の人数も目標のバラエティーも大きくなった日本財団夢の奨学金。パイロット事業だった初年度に入った1期生は、これまでをどのように過ごし、何を感じているのでしょうか。今回は改めて彼らのインタビューもお届けします。1期生としては通算第7回目となるインタビューの相手は、地方の大学で社会福祉学を学ぶ女子大学生(新4年生)です。

 

 

女子学生。夢は精神保健福祉士

 

インタビューは奨学生交流会の機会に急きょ設定されたが、「ずっと候補に手を挙げていて、ようやく叶いました!」と、元気な声で応じてくれた。

 

大学進学と同時に奨学生に選ばれ、4月から新4年生。昨年は多くの同級生が学ぶ社会福祉士の課程に加えて、精神保健福祉士の課程も並行して選んだ。授業は1日に2、3コマ入っていて、「全休」は金曜日だけ。社会福祉士の課程だけを取る同学年の友人は、週3休だから、「それに比べると忙しいし、先生も厳しくて大変」という。

 

とはいうものの、課外活動にも積極的だ。一つは、認定NPO法人カタリバでのボランティアだ。この団体は、「たまたま自分が育った環境や受けた教育によって、描き出せる未来が異なる」という現実に、団体代表が疑問を感じて創設されたもので、高校生を対象にした学習プログラム「カタリ場」などを運営している。彼女はその理念に共感し、彼らが大学近くで主催する短期のプログラムへの参加を始めた。「少し年上の先輩」として高校生の悩みを引き出し、自分の経験を話している。

 

社会復帰のサポートができる職業を目指して

 

課外活動のもう一つの柱は、精神病院での看護助手のアルバイトだ。自分の振る舞いが裏目に出たり、努力が実らなかったりして、涙が出るほどつらいこともある。ただし、精神保健福祉士の資格取得を目指す彼女にとって、経験を積むことができるこのアルバイトは、大学での勉強と同様に大切な時間だ。

 

将来の夢を、精神保健福祉士に定めたのには理由がある。

 

「中学生の時、家庭の事情もあって、心の問題に関心が向きました。始めは臨床心理士になりたいと思ったんです。でも、調べるうちに、臨床心理士は話を聞くことがメインで、その人の社会復帰に向けたサポートまでは行うのは、精神保健福祉士とわかりました。私はやりたかったのは、まさに社会復帰のサポート。それでこの仕事を目指すようになりました」

 

「精神疾患のある方って、偏見を持たれますが、それは病気と性格を混合してみなされてしまうからなんです。話を聞くだけでは解決しない。その後の生活改善につながるような仕事をしたいと思いました」

 

しかし、2年生の前期から専門課程を学んできたところで、将来の夢の職業を、精神保健福祉士に限定することに、違和感が出てきた。広く精神福祉分野を目指すとする方がよいのではないか。そう感じているという。

 

「浮上してきた職業には、スクールソーシャルワーカーなどがあります。それから、売春行為をする男性の心理にも関心がありますし、将来は里親にもなりたい」

 

学ぶ意欲に衰えはない、と断言する。

 

「精神疾患は、がん、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病と並んで、厚生労働省が認定する五大疾患に入っています。福祉の道に進む限り、精神の問題には関わることになる。学びは決して無駄にならないと思います」

 

真剣な表情で話した。

 

「カタリ場」で作った自分を振り返る紙芝居を、一昨年の交流会で奨学生仲間に披露した(中央)

 

間接的な暴力の連続。「叩かれた方が楽だった」

 

中学校3年生の夏に児童養護施設に入った。原因は母親による虐待だった。といっても、体に直接危害を加えられたわけではない。ダメージを与え続けられたのは心だった。

 

「母は優しい人でした。料理も上手で、誕生日には外食しようという話が出ていましたが、私は母に『三日間私の好きなメニューを作って』とリクエストするほどでした」

 

そうした生活が暗転したのは、小学校5年生の頃。母親が同居していた祖母に暴力を振るうようになった。祖母は「大好きなおばあちゃん」だったが、母親には厳しい人だった。その関係性の中で母親は精神を病み、祖母に対して日常的に虐待を始めたとみられる。

 

「母は包丁を持ち出しておばあちゃんに突きつけたり、おばあちゃんの髪を持って引きずり回したり。おばあちゃんのことが心配で、小学校5年生から学校に行けなくなって、中学校も不登校でした」

 

母親が祖母の骨を折る場面を目撃したことがあり、虐待のほう助もさせられた、と明かす。

 

「おばあちゃんを痛めつける時、どうしたらもっと苦しめられるかということを母が私に尋ねてくるんです。私は、おばあちゃんへの虐待が少しでも軽減できるように、こうしたらいい、というような提案をして・・・」

 

たまに学校に行った時にはスクールカウンセラーがいる相談室で過ごした。ある時、虐待が続く生活に耐えきれなくなり、思い切って家を飛び出したが、スクールソーシャルワーカーの機転で連れ戻された。

 

「スクールソーカウンセラーに家庭での問題を相談していたのに、裏切られた思いでした」。児童相談所への通報などもなく、解決には向かわなかった。

 

中学3年生の夏に、児童養護施設に入るきっかけをもたらしたのは、父親だった。父親は、母親の虐待を見かねて前年、祖母を施設に入らせていた。それでも、母親から彼女への心的虐待は続いていた。「言葉による虐待はつらい。むしろ殴られた方がまし」。心に受けた傷で弱った彼女は、精神を病んだ母親と一対一で過ごす生活から抜けられずにいた。

 

そんなある日、父親が彼女にそっと告げた。「この日は必ず学校に行け」。指定された日に学校に行った時、保護された。入る児童養護施設が決まった時のことを尋ねられると、彼女は遠くを見つめた。

 

「ほっとしました。もう家にいなくて済むって。施設に入る子は、意に反しての場合もありますが、私は進んで入りました」

 

進学に積極的な施設で勉強を再開

 

こうして彼女が入った施設は、「とてもいい施設」だった。40~50人の子どもが暮らしていたが、他で耳にするいじめなど、悪質な問題には遭遇しなかった。6人ごとに、家庭と同じような一軒家で生活し、担当の職員(同性)も1年間変わらないシステム。心身を安定させてくれた。

 

生活の基本も身に付けさせてもらえた。SST(Social Skill Training)と呼ばれる学びの仕組みを実践していて、「はっきりと主張する」「時間の管理をする」などの項目をクリアするごとに、ポイントをもらえ、たまったポイントで自分へのごほうびが選べた。「高校生だったら、携帯を持てるとか。みんな楽しんでやっていました」

 

中でも彼女が感謝しているのが、進学へのサポートに積極的だったことだ。不登校が続いて、小学校5年生程度の学力しかなかったが、中学3年生の2学期から新しい学校に通い始める時から、担当の職員が丁寧に勉強を見てくれた。

 

テストでは0点が続いたが、職員の努力にも助けられ、次第に授業にもついていけるようになった。将来の職業についても考える余裕が生まれ、精神保健福祉士という職業を知り、福祉系のコースがある高校への進学も果たした。

 

夢の奨学金の情報も、この施設の職員からもたらされた。大学受験では、候補が2校あった。短大が、現在通う4年制大学か。本当に学びたいことが学べるのは、後者だったが、経済的な理由で難しいと予想していた。奨学金で夢への切符を得られた。

 

「短大の方は、精神のことではなく、介護を学ぶところでした。資格を取って5年間働く条件で、学費が無料になるということでした。自分の夢をかなえるというより、短大卒という学歴を得るための進学になっていたと思います」

 

奨学金で得られたのは「自分を振り返る時間」

 

奨学金をもらって良かったこととして、奨学生の多くが、過剰なアルバイトから解放されたことを挙げる。それにより、学業や部活動に専念できると喜ぶ声だ。

 

社会福祉を勉強してきた彼女の視点は、少し異なる。過剰なアルバイトからの解放で生まれた時間に感謝した。「自分を振り返る時間が得られたのが、一番大きかった」

 

「社会的養護の子の特徴の一つに、自分の過去の振り返りがなかなかできていない、ということがあります。私もそうでした。大学に入って、アルバイトをしなくていい分、自分の時間ができて少しずつ考えはじめ、今ちょうど、自分を見つめる時期にきています」

 

2年前の1年生の時に参加した、カタリバの活動の帰り。東京から来ていた同NPOのインターンの人から「今のあなたって、本当のあなたじゃないよね」と言われた。その時は、意味がよくわからなったが、昨年ごろから、ズシリと心に響くようになった。

 

「2年の夏に再びカタリバに参加して、高校生たちと共に行動している中で気づいたんです。私、常に作り笑いをしていると。笑顔でいる自分が好きだったんですが、それは本当の自分じゃなかったんです」

 

大きなショックだった。何とかしようと、真顔でいる練習をした。

 

問題を他の人のせいにできない性格だとも、気づいた。成育歴に原因があるのか、すべて自分のせいにして、人に頼ることができない。昨年4月に独り暮らしを始める時も、友人から車を出してあげるよと言ってもらえたのに、「これって、他の人は頼ることなのかな」と答えがわからず、結局、頼れなかった。

 

「最近、作り笑いはしないで過ごせるようになってきました。以前と比べて、無理に笑顔を作るのではなく、相手の話の内容に意識が向きます。そのおかげで、物事をすらすらと言語化できなくなったという副作用もありますが。笑顔も減ったし、言葉も減ったので、ソーシャルスキルとしては下がったかもしれません。でも、今の方が楽ですね」

 

大学生活はあと1年。社会にはばたくまで、自分を見つめる時間を大事にするつもりだ。

 

「見てください。衣装も自分たちでデザインしているんですよ」

 

インタビューの終盤、3年生まで没頭したよさこいのサークル活動について語り始めた彼女は、飾らない笑顔だった。

 

メイクセットを入れたポーチはいつもカバンに。大学生活では、おしゃれも楽しむ

 

 

社会的養護の後輩、申請を予定している人へのメッセージ

 

「困難を環境のせいにしないで。この奨学金のように、社会的養護の子だからこそ、得られるチャンスもある」

 

「事情があって施設や里親の下で生活した人は、自分の過去を振り返る時間が必要だと思う。前に進むためにも、その時間を大切にしてほしい」