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採択奨学生の動き

ボートレーサー木村さんと尾形理事長と考える「生きること」

奨学生 第4回交流会・勉強会

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「夢の奨学金」の奨学生が定期的に集まる交流会・勉強会。その第4回が8月29日に開かれました。通常は、奨学生の多くが暮らす中京地区の中心地・名古屋市で講師を1人招いて行っていますが、今回は特別篇として、東京都・赤坂の日本財団ビルを会場にして開催し、2人のお話を聞きました。勉強会のテーマは「人生」「生きること」。学校行事などで上京できない4人を除く7人が参加し、考えを深めました。

 

奨学生が日本財団ビルを訪れるのは、認定証の授与式が行われた3月下旬以来。今回も、めったに袖を通さないリクルートスーツを着込み、慣れない移動をこなして来た彼ら。到着直後はやや疲れた表情も見られました。しかし、奨学生同士は、この間すでに交流を深めてきています。集合場所で仲間と再会すると、一気に顔をほころばせて元気におしゃべりを始めました。

 

日本財団ビル8階の“社食”で、まずは昼食をとりながら交流会。複数のメニューがある中、全員同じパスタを注文し、近況報告の会話を弾ませます。学んでいる事柄がそれぞれ異なるため、互いの勉強の内容にも興味が尽きない様子。また、日々の暮らしについても、悩み事を打ち明け、トラブルになる前にどのような対策をしたらいいのかなどをアドバイスし合っていました。

 

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久々に会った仲間とランチ。笑顔が絶えません

 

交流会の後は、スペシャルゲストによる講話です。登場したのは、ボートレーサーで社会貢献活動にも熱心に取り組んでいる木村光宏さん。自身も子どものころ、児童養護施設で暮らした経験があります。まずは職員が、ボートレースの収益金が地方自治体の財源となったり、日本財団の活動に使われたりすることを紹介したうえで、木村さんが自分の過去を踏まえ人生を語りました。

 

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体験を語る木村光宏さん

 

木村さんは冒頭、「死のうと思ったこともあった」と明かしながら、イジメなどで辛い思いをした子ども時代を振り返りました。また、社会では施設出身者に対して差別や偏見があると先輩たちを見て実感し、「一流(の人)になろう」と決めたこと、そして、具体的にはお金を稼ぐことでそれを実現しようとしたことを紹介しました。

 

ボートレーサーになったのもお金が目的だったと率直に語りました。施設を出て調理人の修行をしていた時に、たまたま友人とボートレース場に足を運んだのがきっかけでした。ボートレースの賞金の額に目が留まり、大金を稼ぐ選手になろうと決心。養成学校は試験が難関で、入ってからも過酷な訓練だけでなく、規律を重んじた厳しい集団生活が待っています。それでも挑戦し、一流のレーサーになれたのは、「世の中を見返したい」という一心からだったと言います。

 

 

木村さんは、奨学生へのメッセージとして、「何でも経験してほしい」と話しました。通信制の高校時代、それまで関わることのなかった歳の離れた人との交流をきっかけに、他人とのコミュニケーションに対して積極的になれたと言う木村さん。今まで知らなかった環境に身を置くことで、成長していってほしいとの願いを込めた呼びかけでした。

 

また、力を入れている社会貢献活動「ギブ・キッズ・ザ・ワールド」について紹介し、「死についても勉強してほしい」と語りました。これは、余命2週間といった難病と闘う子どもとその家族に、1週間の思い出旅行を提供・支援する活動で、米国フロリダ州にある非営利慈善団体が行っています。木村さんはその取り組みに共感し、現地の宿泊施設で朝食を出すボランティアに昨年、参加。日本でも、同じようなプログラムを提供できないか模索を続けています。

 

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木村さんの話に聞き入る奨学生たち

 

そして、最後に「生きていくのは、ギャンブルみたいなもの。自分がこれをやるか、やらないかによって人生を大きく左右する」としながら、その勝負事に毎回勝っていかなくてもいいから、「最終的にジ・エンドにならないように」予習復習して進んでいくことが大切とアドバイス。また、「人生の大きな目標は、家族を持つことだと僕は思う」と話し、「例え子どもがいなくても、結婚をして他人と生活するという経験をぜひ持ってほしいと思います」と語りかけました。

 

続いて勉強会です。「人生とは、生きるとは」と題し、尾形武寿・日本財団理事長が講師を務めました。冒頭、奨学生が一人ひとり自己紹介を交えて自分の夢を語ったのを受けて、尾形理事長は「まずはそのゴールを目指して」とエールを送りつつ、途中で全く予想しなかったことが起きる可能性があることに触れ、「(目標を)変えるのを躊躇しなくてもいい」と話しました。そのうえで、「今やっていることが辛いから」という理由ではなく、「今よりもいいものが見えそうだな」と思った時にその方向に進路を変えることを勧めました。

 

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尾形理事長は「私は小売店を開業したかった」と打ち明け、まず自身の人生について語りました。商売人になろうと思っていたところ、学校を卒業してすぐにその職に就けば社会知らずのままになってしまうと考え、30歳になるまではサラリーマンとして勤めることにしたこと、また、30歳になって独立しようと考えた矢先に故郷の父親が亡くなり勤めを続けることになったこと、そして、4年間の欧州駐在を終えた後に、日本財団の前身である日本船舶振興会から仕事の誘いがあり、面白そうだなと思って転職することにしたことなどを話しました。

 

こうした経歴を踏まえ、尾形理事長は「自分としては(商売人になるという)目標を持っていたが、家族に対する責任もあったしこうなった」と人生を総括しながら、「この歳になってもコーヒーショップでも開いてみたいとまだ思っている」と言い笑顔を見せました。そして「あなた方には何十年も時間がある。素晴らしいことです」と、人生に豊富な時間が用意されている現実に目を向けるよう呼びかけました。

 

また、人間は独りでは生きていけないこと、夫婦・家族が集まって街ができ国ができていること、そうした社会に自分が帰属し、生かされていること、そして、生かされている代わりに義務や責任を果たす必要があることなどを説明しました。「一番大事なのは、勉強をして、ちゃんと働いて税金を納め、社会が回るようにすること。これが社会への大きな還元です」と話しました。

 

尾形理事長は、様々な人の話を聞いてよく考えることや、対価を求めずに感謝することの大切さも伝え、最後に、他者のために行動することの素晴らしさを話しました。「誰かのために何かをする。これは自分の気持ちを豊かにします。秘かに良いことをやっている人は、周りから見て分かります。人間らしさというか、そういうものが出せる人間になれたらいいですね」と話しました。

 

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後半の勉強会は2時間におよびましたが、時には笑顔を交えながらの懇談にもなり、尾形理事長が奨学生と再会を約束して終了となりました。

 

次回の交流会・勉強会は10月に予定しています。