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採択奨学生の動き

第3期奨学生インタビュー第1回

日本財団夢の奨学金の奨学生は、それぞれ夢を持っています。3期生で初となるインタビューの相手は、システムエンジニアを目指す河原崎光希さん。HAL名古屋専門学校(名古屋市)2年生となった今、「自立に向けて必要だったのは、将来を考える時間でした」と語ってくれました。

 

河原崎光希、20歳。夢はシステムエンジニア

 

街路樹に当たる陽光が目にまぶしい5月の週末。河原崎さんは、白シャツ姿でさっそうと現れた。少し歩けば汗ばむほどの気温だが、いたって涼しげだ。「僕の話でお役に立てることがあれば、いいんですけど」と謙遜の笑みを浮かべながら、インタビューの席に着いた。

 

河原崎さんはHAL名古屋専門学校への進学と同時に奨学生となった。現在、高度情報処理科2年に在籍している。

 

「2年になってからは、グループワークが多いですね。就職すると、企画して作業するといったことを行いますが、グループワークではそれに近いことをやっています。1年の時は座学がほとんどだったので、それよりずいぶん楽しいですよ。僕、グループワークが好きみたいです」

 

グループワークは、クラスメイト6人の共同作業だ。すでに架空のショッピングサイトを企画し、実際に制作している。グループ内で、何を売るかなどを検討し、実在している同業のサイトを複数リサーチしたと言う。

 

学ぶことは多く、学校には平日毎日行く。授業は早い日で午前9時50分から始まり、終わりは遅い日で午後6時50分まで埋まっている。通学は徒歩で20分かかるが、気にならない。学校は冷房が効いているため、むしろ「運動にもなっていいかも」。今後も続けるつもりだ。

 

学校の建物は地元のランドマーク的な存在(河原崎さん提供)

 

交流会で、児童養護施設への関心高める

 

飲食店でのアルバイトをしていたが、少し前に辞めた。シフトに入る時間が取りづらくなったのが一番の理由だ。学校の課題がそもそも多いし、他にやりたいことも出てきた。児童養護施設でのボランティアだ。

 

「実は去年からやりたくて、ネットで探していたんです。勉強やバイトが忙しくなって、行きそびれてしまったんですが、この4月に奨学生の1人から、自分の出身施設で餅つきがあるから来ないと誘ってもらって。行ってみたら、すごく良くて、そこでボランティアに行かせていただくことにしました」

 

名古屋市中心部から電車で1時間ほどかかるその施設に、5月から週に1日通う。主に学童4、5人が相手だ。彼らが学校から帰ったら、宿題を見たり、遊んだりする。「職員とは違う大人」という立ち位置を大事にしたい河原崎さん。子ども同士のケンカが起きた時など、自分ができる声掛けは何だろうと毎回考えている。

 

ボランティアに行きたいと考えたきっかけは、定期的に開かれている夢の奨学金の交流会だった。奨学生仲間は、自分と同じように「社会的養護の子」であることに変わりはないが、過ごした場所や環境によって体験や考えに差があった。これに目を見張らされた。

 

「僕は里親(に預けられた子)なので、施設の子が抱える問題は見えてなかったんです。奨学生の中では比較的、施設で過ごした人が多く、交流会で彼らの率直な話を聞いて、僕との経験の違いに驚きました。これは自分も見て、感じておいた方がいいなと」

 

ボランティアとして受け入れてもらった施設は、出身者からも含め評価の高い場所だ。通い始めてまだ間もないが、交流会で見聞きした問題点を直接的に感じることは少ない。長期的に通うことで、社会的養護の子の環境について理解を深めていけたら、と話す。

 

「職員とは違う大人として、子どもたちに接したい」とボランティア活動の抱負を語る河原崎さん

 

環境の大きな変化。中学3年生で立ち止まる 

 

小学6年生の時、「社会的養護の子」になった。家出をして児童相談所に保護され、一時保護所で過ごした。その後、里親さんに預けられた。

 

「当時は母親が再婚し、家も学校も変わった頃だったんです。環境の変化が大き過ぎて、学校にも行きたくない。かといって、家にもいたくないという状況でした。親からしつけと称して叩かれるということもあり、ほとんど部屋にいました」

 

いつしか家出を考えるようになり、ある日、決行した。

 

「保護された時、それしかないのかな、と思いました。家に戻るよりは(いい)、という気持ちが大きかったです」

 

里親さんは年配の夫妻で、男の子の里子がすでに1人いた。その子とは歳もすいぶん違ったことから接点は少なかったが、里親さんは「光希(または光希くん)」と呼んでくれ、普通の家庭に近い環境を整えてくれた。授業参観日にも来てくれたのをよく覚えている。

 

「とにかく環境に慣れるのに必死でした。新しい学校に転校して行ったのは、6年生の終わり頃だったので、周りの子は『今頃、転校生?なんで?』という感じだったと思います。里親さんのところで暮らしていることは、友達に隠してはいませんでしたね」

 

中学生になると、陸上部に入り長距離走に打ち込んだ。友達に囲まれた生活。しかし、3年生になった頃、突然、学校に行けなくなった。

 

「今思うと、疲れていたのだろうと思います。大きな変化が立て続けに起こって、それに慣れようと必死に頑張り続けて、限界に来ていたのかなと。ほぼ1年間、いろいろなことを考えました。これまでのこと、今後のこと、家族のこと。それ以来会っていませんが、お母さんにも会いに行ったりもしました。再び歩き出すために必要な時間だったのだと思います」

 

勉強で使っているパソコンと愛用のバッグ(河原崎さん提供)

 

里親さんはその時、無理に学校に行かせようとはしなかった。立ち上がるのをずっと待っていてくれたことに、「むちゃくちゃありがたかった」と河原崎さんは振り返る。

 

里親さんは高校進学も応援してくれた。無事に合格し、入学後は、学校で認められていたこともあり飲食店でのアルバイトを始めた。頭には常に「自立」という目標があった。

 

大人に頼らずに生きていくことは、小学6年生の頃から考えていた。中学3年生の1年間、集中して考える時間を持ったことで、早く自立しようとの想いがさらに強まっていた。アルバイトをしてお金を貯める気持ちは自然とわいてきたと言う。

 

自立するため、高校卒業後はもちろん就職するつもりだった。学校を通じて複数の職業に接し、中でもシステムエンジニアの仕事に興味を持った。業界を横断して活躍できる側面を知り、「何でもできそうだ」と可能性を感じたからだ。IT業界自体にも楽しそうな印象を持った。

 

興味が深まるにつれて、システムエンジニアリングをきちんと学んでおきたいという気持ちが大きくなった。そこで、2年生の秋、進路を進学に変更した。

 

進路変更に伴って受験勉強も必要になったが、お金も問題だった。そんな時、児童相談所の職員が、「こんなのあるよ」と教えてくれたのが、夢の奨学金の情報だった。

 

「他の奨学金に比べて、とにかく金額が大きいのでびっくりしました。応募することにしましたが、基本的に“不安がり”なので、結果が来るまでドキドキしっぱなし。応援してくれていた里親さんはこの時、本当にありがたいことに『(学費を)出してあげようか』と手を差し伸べてくれようとしましたが、自力で何とかしたいと思いました」

 

結果通知の封筒は、高校3年生の3学期に届いた。里親のおばさんから渡され、触った瞬間、書類の厚みに気が付き期待が膨らんだ。夕食後、里親のおじさん、おばさんが見守る中で、中身を確認すると「合格」の二文字。卒業ギリギリまで持ち越していたお金のめどが、ようやくついた瞬間だった。

 

奨学生同士の交流の場を大事に

 

奨学生になって1年余り。河原崎さんは、夢の奨学金の奨学生になって良かった点を問われ、お金以外のことを挙げた。

 

「もちろん、お金はありがたいです。でも、僕にとっては、奨学生同士の交流の場があることが、本当にありがたい。交流会に出ることで、自分では持っていない視点を、奨学生仲間からたくさん得られています。お金だけもらう奨学金だったら他にもありますが、ここまで交流する奨学金プログラムはないんじゃないでしょうか」

 

実際、児童養護施設でのボランティア活動を始める動機も、交流会から生まれた。積極的に他の奨学生に声を掛け語り合おうとする姿勢に、仲間から「光希はしっかりしている」「深く考えて話してくれる」と信望も厚い。5月に開かれた交流会では、交流会の内容を検討・準備する企画チームに入り、進行役を務めた。数十人規模に成長した奨学生のコミュニティが、一人ひとりにとって互いを知り、気持ちよく交流できる雰囲気になるよう、今後も交流会を大事にしていきたいと河原崎さんは話す。

 

5月の交流会で進行役を務める河原崎さん(左から2番目)

 

子どもの頃から今まで様々なことがあったが、二十歳になった今、夢に向かって充実する日々を送る。「今、前を向いて頑張れているのは、中学3年生の(自分を見つめる)1年間があったから」と河原崎さんは強調する。温かく見守り、応援し続けてくれた里親さん夫妻への感謝は大きい。

 

5月には、国家資格である「基本情報技術者資格」も取得。夢見ていた「自分の力で生きられる人」になるまで、あと少しのところまで来ている。

 

 

社会的養護の後輩、申請を予定している人へのメッセージ

 

「自分がやりたいことをやってほしい。大人に言われたことをやるのではなく。やろうと思えば、どうにでもなる」

 

「休む時は休んでください。立ち止まっちゃってもいい。どう再スタートを切れるかが重要。僕も、1年間休みました。それでずっと、いろいろ考えました。疲れたら休んで考えて、またスタートすればいい」