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採択奨学生の動き

第3期奨学生インタビュー第4回

一度働いてから法曹を目指す大学院生に

3期生4回目のインタビューの相手は、早稲田大学大学院の法務研究科3年生として法律を学ぶ男子学生です。高校中退によって児童養護施設から巣立ち、10代の後半は働いていました。そこから学業に戻り、現在に至ります。夢の奨学金を得たことで、飛び級で大学院にも進学。「勉強は裏切らない」と、社会的養護の子どもたちにメッセージを送ります。

 

 

法律を学ぶ男子大学院生、25歳。夢は裁判官

 

オンラインでのインタビューが始まると、モニターの端に白鍵が見えた。これまでの交流会で「ピアノを始めた」と語っていた彼に、練習の進捗を尋ねると、「今、練習する時間がないんです」。レッスンも休んでいるという。

 

理由は学業だ。この夏、司法試験予備試験を受けることにし、勉強に時間を割いた。司法試験予備試験とは、これに合格すると、法科大学院(ロースクール)修了者と同等の資格で司法試験の受験資格を得られるというもの。法科大学院に行かない人にも法曹資格を得られる道を開くために設けられた試験だ。

 

現在、法科大学院に通っているが、これにパスすると、修了を待たずに司法試験が受験できるようになる。この度、予備試験短答式試験に合格し、10月には論文試験を受けることになった。

 

「試験勉強が必要ですから、ピアノのレッスンを再開できるのはもう少し先になりそう。でも今は、ピアノの他に、来年は何をしようかなと考え始めています。実は毎年、何か新しいことに挑戦しようと思っているんです。ピアノは2020年の挑戦。2021年は何がいいかな。お勧めがあったら教えてください」

 

勉強以外でも、チャレンジを常に続けている。

 

オンライン授業に「勉強はひとりでするものだけど…」

 

新型コロナウイルスの影響で、大学院生としての生活にも変化があった。新年度の冒頭はまず休校。ゴールデンウィーク明けから授業は再開されたが、すべてオンラインで行われることになった。ライブで行われる講義と、好きな時間に視聴できるオンデマンド講義の併用。結果として、家の中に閉じこもる生活が続いた。

 

「もともと勉強はひとりでやることですから。でも、授業に出かけて行っていたころより、人との交流は確かに減りました。授業の前後の雑談も、オンラインだとありません。『あの部分、よく分からなかったんだけど』など、人と話すことで相互理解が進みますから、その分、授業に出ていた時は、勉強になっていたんですよね」

 

授業は週に11コマ。必修は3つだけで、2年生の時の方が忙しかった印象だ。勉強で最近面白いと感じているのは、例えば「Conflict of laws」。和名で国際私法(抵触法)と呼ばれる法分野だ。

 

例えば、結婚、離婚、親権、養子縁組などで何か問題が起こり、その紛争を解決しようとした場合、日本人同士であれば当然、日本の法律(民法)が適用される。では、一方の当事者が日本人以外であればどうなるか。「当然、日本法が適用される」わけではなく、どの国の法律を適用すべきかという問題が生じる。このような問題のルールを取り扱うのが、「国際私法」だ。

 

「国際結婚や海外取引など、グローバルな社会では今後ますます必要になる分野です。法が適用される前のルール(準拠法)を考えることになりますから、ちょっと特殊ですし、面白い。名前もかっこいいですよね」

 

コロナ禍では、アルバイトにも影響があった。ある法律事務所で働かせてもらっているが、今は完全にお休みだ。高齢の先生(弁護士)の事務所で、仕事は電話番など簡単な事務作業。夢の奨学金の奨学生になる前からお世話になっている。コロナが落ち着いたらまた再開したいと待っている。

 

夢は「ない」からの出発。今は裁判官志望

 

夢の奨学金に申請した時、実ははっきりとした夢はなかった。あえて挙げるとしたら、法学部で学んでいたため、「法曹の仕事のどれかに就きたい」ということぐらいだった。

 

法曹の仕事とは、裁判官、検察官、弁護士を指す。最近になって、ようやく少しだけ夢が明確になってきた。三者のうち、抜きんでて魅力的に思えるようになったのは、裁判官。きっかけは、大学院の仲間と参加した最高裁判所の見学だった。

 

「最高裁判所の裁判官って、日本に何人いるか知っていますか。15人(長官1人と判事14人)しかいないんです。普段は見られない仕事場を見せてもらいました。事務方の人たちが働くスペースとは異なり、裁判官の仕事スペースは厚い絨毯敷きで、歩くとふわふわしていました」

 

何よりも貴重だったのは、裁判官と直接、ざっくばらんに話したことだった。

 

「食事を一緒にとりながら、いろいろな話を聞いたんです。裁判官って面白そうだなとその時に思いました」

 

ようやくはっきりし始めた夢。それを話しながら、話題は、他の奨学生仲間のことに飛んで行った。

 

「それにしても、夢の奨学金の他の奨学生を見ていると、びっくりさせられます。高校生のうちから、やりたいこと、夢がはっきりしている! みんなしっかりしていて、自分とは大違いですよ」

 

そう自分を振り返る理由は、大学進学までの道のりにある。

 

中卒の仕事経験が勉強に駆り立てた

 

児童養護施設に入ったのは小学1年生の時だった。その前も児童相談所の介入があったようで、一時保護所を出たり入ったりする生活が続いていたのを覚えている。

 

保護された理由は、明確には聞かされず、自身も覚えていない。「虐待じゃないかな」。「85%ぐらいの確率」でそう推測しているという。

 

小学1年生から高校1年生まで同じ施設で過ごした。

 

「100人ほどいる大きな施設だったんです。下から上まで年齢幅が広く、大きな家族のようでした。そこから地元の学校にみんなで通っていましたね。田舎だったので大きなグラウンドもあり、結構のびのびと過ごしていました」

 

転機は高校1年生の時にやってきた。中退したのだ。中学3年生までサッカーをやっていて、それを続けられる私立高校に本当は進学したかった。ただ、学費のことなどから断念せざるを得なかった。代替として、友人が受けると言った公立の高校を受験し進学していた。

 

「中退の理由は、行きたい高校じゃなかったからです。入ったのは商業系の勉強をする学校だったんですが、もともとそれを目指していたわけでもないし、興味もない。先生とも折り合えませんでした」

 

高校を中退すると、制度上、施設を出て自立しなければならない。一人暮らしを始め、生活のためにアルバイトで働き始めた。そこで気が付いた。高校を中退すれば中卒で働くことになる。社会的に厳しい。我慢がならないことも多かった。

 

「自分より頭が悪い人と思える人から、指図されるのは嫌だと思ったんです。それで勉強して大学に行こうと。当時、仕事の他にやることもなかったので、勉強しました」

 

19歳の時に、高等学校卒業程度認定試験を受け、その冬に、現在通う大学とは別の大学を受験した。法学部を志望したのは、「願書を出そうと思った時に、まだ閉め切っていないのが法学部だけだったから」だ。

 

無事入学し、学費と生活費をアルバイトで稼ぎながら、勉強する生活が始まった。程なくして、アルバイトと勉強の両立は大変だと実感する。成績優秀者に対する大学の奨学金や日本学生支援機構の奨学金は利用したが、将来、返済する金額は抑えたかった。

 

そこで、1年生が終わるころ、他の奨学金を調べてみた。

 

「その時に、夢の奨学金を知りました。給付される金額がとにかくすごい。もう冬で募集は終わっていたんですが、来年もあるかもしれないと期待して待っていたら、実際に次の夏、募集がありました。2年生の時です。絶対受かりたい、絶対受かってやると思って申し込みました。もし受かったら、大学院に行こうと決めていました」

 

夢の奨学金でもらえたのは「勇気」

 

法学部3年生の春から、夢の奨学金の奨学生になった。金銭的に不安がなくなり、将来に向けて「勇気をもらえた」と感じた。

 

ソーシャルワーカーにもお世話になっている。

 

「こちらから困ったことを相談することはありません。ただ、実際に会って食事をしたり、会えなくても近況を報告したりしています。身近にいて、近況を報告できる人の存在は非常にありがたいなと思います」

 

奨学生になった年に、目指していた通り、現在所属する早稲田大学大学院に飛び級するために受験、合格した。進学が可能になったのも夢の奨学金のおかげだ。

 

「進学するにあたって、大学からの奨学金は当てにできず、年間数百万の学費を新たに捻出するのは、自力では不可能でした。法科大学院だと学業が忙しく、アルバイトを入れる時間もとても限られるので、生活費も出る夢の奨学金でないと実現しなかったと思います」

 

夢の奨学金では奨学生との交流もある。親しくなった仲間は全国に散らばっていて、学業の合間を縫って、訪問することもある。自宅に泊めてもらい、語り合うのは楽しい。

 

コロナが落ち着いたら、オンラインに切り替わっている交流会も復活し、彼らと直接会う機会も戻ってくる。この冬にはピアノも再開させるし、2021年からは当初の予定通り新たなことにも取り組む予定。「自分は、他の奨学生のようにロールモデルになんてなれません」と謙遜を繰り返しつつ、学業もプライベートも全力投球。充実の笑顔だった。

 

 

社会的養護の後輩、申請を予定している人へのメッセージ

 

「とにかく頑張ってください。勉強は裏切らない。する分だけ意味がある」

 

「何でもいいから前進すること。ちょっと困難があっても、その先に助けてくれる人や、制度がある。柔軟にやってみることが大切です」