SCHOLAR

採択奨学生の動き

第4期奨学生インタビュー第7回

周りの人々の助けを得たことで病気も困難も立ち向かうことができました

『日本財団 夢の奨学金』では、去る2023年3月に卒業を迎える奨学生を囲んでの活動報告会が行われました。その場で発表をしてくれたSさん。夢の奨学金に合格してからデザイン専門学校に進み、イラストやデザインを学びました。在学中は決して順風満帆ではなかったとのことですが、出会った人の助けを借りながら、自分のことをよく見つめて、さまざまな困難を乗り越えてきました。「私の経験が悩みを抱えている人の参考になれば」との思いで、お話を聞かせてくれました。

 

 

高校卒業後はアルバイトの日々焦りを感じて
「進学したい」と考える

 

5歳の時に母親を亡くしたSさん。やがて父親が再婚して新しく母になった人からはネグレクトを受け、苦しい日々が続きました。父親との家庭生活を続けていくことが難しくなり、隣の県の親族の元で生活するように。しかし、中学に入ると通常の時間に登校できなくなり、かといって自宅にも居場所がなく、夕方になると保健室に行く、という毎日でした。
 
「親族は、不登校に対して理由はどうあれ、学校には行きなさい、という考えでした。それでも中学校卒業後、親族の希望で全日制の公立高校に入学することができました。しかし、16歳の時に離れて暮らしていた父が亡くなってしまったのです。それをきっかけに、心はさらに不安定な状態に陥るようになってしまいました。
 
非行に走るということありませんでしたが、誰にも悩みを相談できず、人を信用できなくなり、鬱屈な日々を過ごしていました。今思うと、既にその頃から病んでいたのかもしれません。その後、学校の先生の勧めで隣の県に住む親族に『親族里親』として登録することになりました。
 
親族里親の元で悩みながらも高校も卒業を果たしました。親族は高齢だったため『年齢的にも、もう面倒は見ることはできないから進学は諦めてほしい。』といわれ、卒業後は2年ほどアルバイトで忙しい日々を過ごしていました。」
 
この頃、市の支援制度を通して、就労支援のケースワーカーからさまざまな支援を得ることができました。しかし、ほとんどの同級生たちは大学で学び、充実しているように見えて、Sさんは次第に焦りと悔しさを募らせます。
 
「とりあえずは周りと同じように進学しないと置いていかれると焦りました。何か動ける手立てはないかと、奨学金のことをインターネットで調べました。そこで『夢の奨学金』のことを知ったのです。
 
他の奨学金や支援制度のことも調べましたが、社会的養護の私が応募できるという制度で、支援も充実していたので、これがあれば進学も夢ではないと、早速その年に募集されていた3期生に応募しました。しかし、その年は合格できませんでした。
 
振り返ってみると、ただただ『学校に行きたい』という焦る気持ちに追い立てられて『なぜ進学したいのか、学んだことをどのように社会に還元したいのか』ということを深く考えず、表現しないまま応募してしまったからだと思います。
 
でもそこであきらめませんでした。次の年の4期生にも応募を決意。その際には、就労支援のケースワーカーさんにもお手伝いいただいて、応募用紙の書き方を相談したり、面接の練習をしたり、自分がどのような気持ちで進学したいのかを引き出す訓練などを行いました。
 
応募にあたって、自分がなぜデザインを学びたいか、それをどう世の中に還元できるか、よく考えてみました。私は父の再婚後からいわゆるネグレクト状態で、体育の授業がない日でも体操着で登校しなくてはならない時期もありました。食べるものも着る服もまったくない、ということではありませんでしたが、選択肢がない。体操服があるからいいじゃないか、とはいえませんよね。いわゆる相対的貧困です。自分が着たい服を選べない、周りと同じような環境を与えられないということは非常に惨めな気持ちでした。
 
服に限らず、デザインが施されているものは、そのセンスに惹かれて自身で品を選ぶ楽しさがあります。支給されるものではなく、自分で好みのものを選択できるということには、選択肢の自由があります。私にはその自由が足りていなかった。ですから、デザインを通して、世の中の人々に選べるという状況から得られる、余裕や安心感、幸せなどを提供することで、みんなの心を豊かにしたいと思ったのです」
 
2年目の応募で見事合格し
憧れのデザイン専門学校に入学

 
こうした精一杯の気持ちを応募用紙に込めて、2年目には合格することができたSさん。合格の通知を受け取ったのはクリスマスでした。進学先のデザイン専門学校は、高校在学中から見学にも行っていたことがあり、ぜひ学びたいと思っていた学校です。もともと絵が好きで得意だったこともあり、さほど緊張することなく授業に臨みましたが、デッサンの授業で「面食らった」と言います。
 
「それまでは、絵を描いていてちょっと違和感があるときも『なんとなく違うな』と感じるだけで、どこがどう違うのか明確に説明できませんでした。ところが、デッサンの授業では『ちょっと変だからやり直し』、ではなく『光は白い場所に当たると反射するから物の影の中にも反射光を書き込む』など、細かいところまで具体的な言葉で指示を受けたのです。そうすると、どこをどう直せばよいかはっきりわかってきました。
 
それまでは『なんとなく』で片付けてしまいがちでしたが、そこを具体的に言葉にしていくことで、自分の絵やデザインの技術向上はもちろん、他の人の作品を鑑賞する目も養っていけました」
 

学生時代の名刺づくりの課題で描いたイラスト。
「当時、通っていた保護犬カフェの雑種犬と触れ合っていました。
雑種犬ってどう説明したらいいのか分からないかわいさがあります。
そんな『説明のつかない犬』を描いてみました」


 
パニック障害の悪化とお酒の悩み
克服するために断酒を決意

 
4年間の学生生活なかで、1~2年生のときはパニック障害による症状が悪化し、ぶつけようのないストレスでお酒の飲み過ぎにも陥っていたそうです。一時は自暴自棄になり、行き詰った状態で救急搬送され、入院を余儀なくされたこともありました。
 
「お酒のことも重なって、救急搬送されたこともありますし、自分から入院をさせて欲しいと夜間に病院を訪ねたこともありました。しかし、数日だけでしたが入院を経験した結果、私にとっての入院は自分を良い状態にする方向にはならない気がしました。あまり良い表現ではありませんが、あくまでも精神科の入院患者として大人しくおりこうになっていくだけで、根本的に今抱えている問題が解決することはないかもしれないと感じたからです。やはり自分自身の生活を変えていくしかない。そう一念発起し、断酒を決意しました。
 
最初の3カ月は、ふとした時に『飲んでしまう』と思うこともありました。それまでは気持ちが沈んだときにお酒にぶつけていたので、少し嫌なことがあるとすぐお酒を飲むというループが出来上がっていたのです。でもコンビニに行ってお酒コーナーの前で悩んだ後、ノンアルコール飲料を買ってきて、気を紛らわせていました。そうしていくうちに、がまんができるようになりました。現在もお酒は飲んでいませんし、あまり飲みたいとも思いません。
 
右往左往する日々が続いていましたが、ようやく前向きな取り組みに目が向くようになりました。お酒を飲まなくなったのを機に、苦手を克服しようと動きました。パニック障害の症状の一つに乗り物で発作が出やすい、ということがあります。私もしばらく乗り物が苦しくて避けていましたが、外出訓練を開始したのです。
 
外出訓練はいつも支えてくれる就労支援のケースワーカーさんが支えてくれました。最初は一駅から始めて乗る練習をしたり、ケースワーカーさんと私の中間地点で待ち合わせをしたり。約束は守らなければという責任感からか、待っていてくれる人がいることで『ちゃんと行こう』とがんばれました。
 
専門学校の先生方も絵やデザインの指導を超えて、さまざまな面で支えてくれました。絵の勉強で学んだ『なんとなく感じたことを具体的に言葉にする』ということは、私の人間関係の在り方にも影響を与えてくれたと思います。
 
私の苦手なことについて、病気や障がいのことも『このようなときは、こうして欲しい』ということをきちんと伝えておく。すると相手も『それだったらできるよ』とか『それはできないけれど、これだったらできると』と、考えてくれます。
私の病気や障がいのことも、周囲の人が常に『大丈夫? 大丈夫?』と気を遣っていただく必要はなく、『こんなときはこうさせて欲しい』など具体的に伝えておけば、お互いが嫌な思いをせずにすみます。
 
これは病気や障がいがある人の問題だけでなく、例えば落ち込んだときに励まして欲しい人もいれば、そっとしておいて欲しい人もいますよね。それを予めわかっていれば、スムーズな関係性を育んでいけるのではないでしょうか。
 
自分のことを具体的に説明するためには、私が自分のことをよく知らなくてはいけません。自分はどうして欲しいのか、こうしたことを客観的に見ていくようにしたことも安定をもたらしてくれたと思います。自分を知る、ということの大切さがわかりました。
 
私は人との係わり方においても急になんとなく嫌になり、プツンと連絡を絶ってしまう、というような傾向がありました。自分の今の状態を伝えようという意思が働かず、あきらめてしまっていたのです。こうした人間関係の積み重ねがあれば、突然に関係が途絶えるということもなくなります。
 
4年間の学生生活で、学業としての絵やデザインの技術はもちろん、就労支援のケースワーカーさん、夢の奨学金のソーシャルワーカーさん、学校の先生方や友人など、さまざまな方々の助けを得ることができ、良いことも苦しいことも経験したことで、マッチ棒のような細い私の心の軸が、しっかりと太くなってきたような気がします」
 
『夢の奨学金』への応募を検討している方へのメッセージ

 

最後に、社会的養護の当事者の方や進学を検討している方へのメッセージをいただきました。
 

 
「私は学校生活などを通して、頼れる人を増やすことが大事だとわかりました。それ以前の私は、相手が助けたいと思ってくれていても、それを受け止められなかったのです。でも、相手が私を助けたいという気持ちを出してくれたときに『今こんなことで困っているので、手助けが欲しいです。』といえるように、自分を知る訓練をしました。
 
19歳のときの進学できない焦りも、頼れる人がいなかったことが根底にあったと思います。人は一人では生きていられない。自分のかっこ悪いところを見せながらも、関係を持ち続けてくれる人々と出会えたことは、ありがたかったと思います。
 
また、同じ夢の奨学金の奨学生からもいい刺激を受けました。それぞれの背景や勉強している分野は異なっても同じ学生生活を送る仲間として、わかりあえる部分もあります。交流会のときは、みなさんが夢に向かっている姿に影響を受けていました。そのプラスの雰囲気を感じるために交流会に参加していました。
 
これから応募を考えている方への経験者からのアドバイスは、『自分の思った通りに志望動機を書く』ということです。実はケースワーカーさんから『相手が手を差し伸べたいと感じるように』とのアドバイスがありましたが、私はこの進路や人生設計以外は考えていない。くらいの強い文章で、提出しました。実際に落ちた後の事は考えていませんでしたから。自分の思いを率直に書くことが大事だと思います。
 
私は現在、パート勤務の仕事が決まり、障がいと付き合いながら、自立していくために頑張っています。パニック障害のことなども理解していただいているので、具体的に『このようなときは耳栓をして仕事をします』など、予め伝えています。事務仕事でデザインと直接関係する仕事ではありませんが、専門学校で学んだことは、長い目で見て仕事や人生に活かしていきたいと思っています。
 
これからの人生の目標は、あまり大きな野望を持つとパンクしてしまうそうですので、今の目の前のことをしっかりやっていきたいです。人生のポリシーとしては『卑怯者にならない』です。どんな場面においても、自分が思う卑怯なことはしない。こうしたことをコツコツと続けていけば、振り返ったときには大きな後悔はないだろうと思っています。