第2期奨学生インタビュー第2回
人生を変えたボクシング 施設の子どもにも夢を
2017.11.02 (木)
日本財団夢の奨学金は2年目も中盤に。初めての夏休みを終えた2期生に9月、お話を伺ってきました。インタビュー第2回は、福岡大学スポーツ科学部1年、伯野海人さんです。
伯野海人、19歳。夢は消防士
待ち合わせの福岡市地下鉄・福大前駅は、授業に向かう学生で混雑していた。人の流れが切れたころ、ひときわ均整の取れた体つきの男子学生と目が合った。
「遠いところありがとうございます」
伯野さんが笑顔をほころばせて立っていた。2人で、歩いて5分ほどのボクシング部の部室に行った。伯野さんが所属する同部の活動場所が今回のインタビューの会場だ。
福岡大学ボクシング部の部室
学生生活の近況を尋ねると、「楽しいですよ」と返ってきた。福岡大学は前期と後期の2学期制で、後期は毎日授業が入っているそうだが、「高校時代の宿題にあたる課題はそれほど多くないんです」と教えてくれた。
「スポーツ科学部の学生は、スポーツのために大学に入っているから、部活重視なんです。授業自体も、例えば陸上で既定のタイムを切らないと単位が発生しません。課題があまり出ない状況なのは、極力部活に集中できるようにという配慮からです」
運動のパフォーマンスが評価材料になるため、体のケアは重要だ。伯野さんの友人の中には、前期の冒頭、靭帯を損傷して陸上の授業を受けられず単位が取れなかった学生もいたらしい。「そのへんのケアも含めて、スポーツ科学部生だ」と指導されているという。
「僕はボクシングをしているので、体重調整を含め、体のケアにはいつも気を遣っています。あまりファストフードやスナック菓子を摂らないように、といったことです。高校と同じで、大学に入ってもボクシング漬けの毎日です」
普段の食事は、入居している寮の寮母さんの手作り。寮生のうちスポーツ科学部生などに対しては、個人の事情に応じて別メニューを用意してくれ、伯野さんも、温野菜など油を減らした料理を作ってもらっている。大学生としては社交の会食の機会も多いが、特に試合の前になると誘いを断る。
学んでいるスポーツ科学部では、男女別に約50人のまとまりで体育の授業を受け、サッカーや陸上の実技をする。そんな授業は、伯野さんにとって異なる専門競技の学生との交流の場にもなっている。
「高校時代にインターハイで優勝したという子もいるし、世界とかでも戦っている子もいるので、それを考えると自分にも刺激になるし、モチベーションも上がる。友だちと話をするのは楽しいですね」
毎日ここで練習に励む。リクエストに応えて、パンチを見せてくれた
ただ、たとえスポーツ科学部と言っても、机でノートを開く勉強の時間はもちろんある。
「スポーツ推薦で入学した子だけの英語のクラスがあるんですが、僕は英語が苦手で。先生がぽろっと言った『教科書を丸暗記すればいい』を真に受けて試験前に必死に暗記しました。かろうじて単位は取れましたが、大変でした」
伯野さんは苦笑し、鍛え上げた体を小さくして頭をかいた。
向き合ってくれる大人が欲しかった
高校1年の夏、住んでいた長崎県内の児童養護施設に入り、高校卒業まで過ごした。
「施設だと毎日が『友だちとお泊り』状態で楽しく、自分にとっては家で暮らすより良かったと思います」
高校からボクシング漬けの生活が続いている
ボクシング部の監督が人生を変えた
現在、全てをかけて取り組んでいるボクシング。実は、母親との関係からその生活は始まった。中学2年の時、新しい場所に引っ越して自転車に乗っている最中に、ボクシングジムがあるのが目に留まった。「強くなりたいと思いました。その頃はまだ体が小さくて、母にもケンカでは勝てなかったんです」。間もなく、習い事としてジムに入った。
伯野さんのグローブ
高校進学後、一旦ボクシングから離れた。心残りではあったが、ちょうど児童養護施設に入る前で、生活も人間関係もごたごたしていた。再びボクシングに挑戦しようと決意したのは、進学先のボクシング部の監督のおかげだ。ある時、監督は、部員でもない伯野さんのために、わざわざ話をする時間を取ってくれた。そして、「一緒に頑張ろうや」と語りかけた。
「大人は話を聞いてくれないから嫌だと思い込んでいました。でも、監督は自分の話を聞いて、受け止めてくれた。『めっちゃいい人。この人についていきたい』と思いました。その時のことは鮮明に心に残っています」
伯野さんは、ボクシング部に入った。部内は過剰な上下関係がなく、「お前らは家族だ」という監督の言葉通り、先輩も後輩も支え合って切磋琢磨していた。ジムを辞めて数か月のブランクがあったが、自分を見つめ、鍛え、努力する生活はすぐに充実していった。次々に結果を残し、高校3年の時にはライト級でインターハイにも出場した。
「監督はプライベートな話もたくさんしてくれて、尊敬できる男の人が初めてできた感じでした。監督と出会っていなかったら、ボクシング部に入っていないし、大学に進学しようとも思わなかったでしょう」
「高校時代の監督はあこがれの存在」と話す伯野さん
高校時代に自分の夢を消防士に定めた。ボクシングを続ける自分を支えてくれた多くの人に恩返しをしたい、という気持ちからだ。監督はもちろん、試合の度に、未明までの仕事の後にもかかわらず嫌な顔せずに車で集合場所まで送ってくれた施設の先生、旅費などを工面してくれた学校関係者。お世話になった人たちは、挙げるときりがない。
「結果が出せたのは応援してくれる人がいたからこそ。こうした人たちにどうしたら報いられるか」。伯野さんは自分の進路を決める時にまずそれを考えた。そして、たどり着いたのが消防士。鍛えた体を使って、世の中に貢献できることが決め手だった。
進学してもバイトはできない。どうすれば
将来の夢をかなえるため、まずは大学に進学したいと心に決めた時、経済的な課題が壁として立ちはだかった。
「高校3年の時、監督の勧めもあって福岡大学に練習に来て、ここでボクシングをやりたいと思いました。しかし福岡大学は私立。ましてや、ボクシング部に入るため、普通の学生のように学費や生活費を稼ぐほどたくさんのバイトが入れられないのは分かっていました。せっかくスポーツ推薦で合格できても、入学できる見通しはなかったんです」
進学は無理かなと諦めかけていた時に、夢の奨学金を知った。施設の副園長から、学費だけでなく生活費まで支給されると聞き、驚いた。「この奨学金をもらうことができればボクシングに没頭できる」と喜んだのもつかの間、「こんなに待遇の良い奨学金に自分が受かるはずがない」と弱気になった。
しかし、その日は申請の締め切り3日前。「とりあえず、学校で申請用の文章、書いてこいや」と言う副園長に促され、進学にかける思いを綴り、その日の夕方に書類を仕上げた。書類選考を通っても合格できるとは思えず、最終選考である面接を受けた時には、「落ちた」と思った。
「合格できた大学の推薦入試では圧迫質問などもあったんです。一方、奨学金の面接では、にこやかな芳川さん(※日本財団担当職員)が出てきて優しく質問してくださったんで、そのギャップに見込みがないと思ってしまいました」
福岡大学ボクシング部のリング。初めて訪れた時、「ここでやりたい」と思った
その後しばらくして、進学後に住む予定になった寮にあいさつするため、福岡市を母と訪れた。進学のめどは依然立っておらず、「結局は断念することになるんだろうな」と思っての訪問だったが、帰路、施設から電話で、日本財団から封書が届いていると連絡があった。帰ってから開封してみると、予想に反して合格の通知だった。
「うれしいというより、呆然としてしまいました。隣にいた母も『はぁ』と力が抜けた様子で。母は自力では学費は出せないということを、この日、施設で相談するつもりだったそうです」
伯野さんの進路はこれで確定し、今、夢に描いていた福岡大学でボクシングに打ち込んでいる。
ボクシングを通して子どもたちに夢を
伯野さんには消防士のほかに実はもう一つ、夢がある。それはボクシングの指導者になることだ。今学んでいる学部では、公認コーチ(ボクシング専門)の資格を取ることができ、大学で学びながらこちらの夢に向けても着実に歩みを進めている。
「高校時代に出会った監督は、真剣に向き合い、いったん話を全部聞いて、そのうえで意見を出してくれる人でした。言い尽くせないほど感謝しています。監督のような指導者になりたい」
学外ではボランティアとして活動も始めた。
社会的養護出身で元プロボクサー(ライト級)の坂本博之さんが児童養護施設の子どもを対象に行う「ボクシングセッション」に高校時代に参加し、その姿に感銘を受けた。坂本さんは「悲しみや怒りを拳に乗せて、思い切り打ってこい」とミットを構え、子どもたちに向き合っていた。
自分でも施設の子どもたちに何できないか、と取り組みはじめ、今年8月には、子どもたちのパンチを受けた。その写真を添えて、「大学での目標の一つのボクシングでのボランティアを達成できました」「子供達の笑顔がたくさん見れました!」と自らのSNSに投稿した。
「感謝」という言葉を、支えてくれた一人ひとりに届けるかのように、何度も口にする伯野さん。これまでの全ての経験と出会いの中から夢を見つけ、子どもたちにも夢を与えられる存在になろうと努力している。
無事に入学できた福岡大学の正門前で
社会的養護の後輩、申請を予定している人へのメッセージ
「夢を持ってほしい。夢の見つけ方が分からないという子もいるけれど、得意なこと、好きなことを必死で頑張るといい。スキルが上がり、あれもやりたい、これもやりたい、となっていく」
「お金がないからという理由で、夢を諦めないでほしい。施設の子は現実を見過ぎて自分に自信がないこともあるけれど、いろんな支援がある。諦めないで」