SCHOLAR

採択奨学生の動き

第2期奨学生インタビュー第1回

パレスチナ難民の苦しみ感じ 国連職員を目指す

日本財団夢の奨学金は2年目がスタートしています。本格始動した今年度も、引き続き奨学生のインタビューをお届けします。初回は上智大学総合グローバル学部1年、宮川史誉さんです。

 

1

 

宮川史誉、18歳。夢は国連職員

 

東京都千代田区にある上智大学のキャンパスでは、梅雨の合間の日光がじりじりと照りつけ、行き交う学生の額に汗がにじんでいた。

 

「暑い中、ありがとうございます」

 

約束の場所で、宮川さんは待っていてくれた。ブルーの洋服姿。昼休みの大学は、教室から吐き出された学生の熱気にあふれるが、本人の周りは涼やかな空気に包まれている。

 

宮川さんはこの4月に福岡県から上京し、上智大学に入学した。所属する総合グローバル学部では、「グローバルイシューをグローバルな視点とローカルな視点の両方で」、考え学ぶ。語学は、高校までに勉強してきた英語のほか、第二外国語としてアラビア語を選択した。将来、パレスチナ問題に携わる仕事をしたいと望んでのことだ。

 

2+

この春から勉強を始めたアラビア語の教科書

 

月曜日から金曜日まで授業がある。平均して1日に3コマだが、例えば火曜日は一番ハードで、1限から6限まで埋まっている。午前9時ごろから午後8時ごろまで、お昼休みと授業間の小休止を除き、全て授業だ。それぞれに、読んでおくべき文献やレポートなどもあるので、時間はいくらあっても足りない。

 

しかし、疲れを感じさせない笑顔で語る。

「後期でも開講される授業もあるのですが、早く学びたい一心で今期、受講しました。授業が朝から晩まで埋まっているのはそのためです。でも、全く苦になりません。学びたいと思っていたことが、一気に学べるようになったので、とても満足しています」

今、授業が入っていないコマも、実は埋まる予定だった。受講を希望したものの、抽選に漏れてしまったから「空いてしまった」のだそうだ。

 

3+

アプリで管理する時間割。空いたコマが目立つほどぎっしり

 

貪欲な宮川さんの学生生活は、授業だけで終わらない。時間を縫って、サークル活動にも参加している。しかも2つ。

 

1つは、インドとフィリピンの子どもの初等教育学資支援を行うNGOサークルだ。キャンパスそばのJR四ツ谷駅前で街頭募金活動を行ったり、学内でバザーをしたりする。仲間の間の役割分担では、会計を引き受けた。「将来役立つかなと思いました。経験を積んで上達したい」。計算は苦手だが、だからこそ手を挙げた。

 

もう1つは、英語を学ぶ学生たちでつくるESS(イーエスエス、English Speaking Society)だ。メンバーは、ディスカッション、ディベート、ドラマ、スピーチの4つの部門で研鑽を積む。1年生は現在、体験活動中で不定期参加だが、宮川さんのお目当てはディベート。大好きな英語を更に磨くのを楽しみにしている。

 

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「忙しくても満足の毎日です」と語る宮川さん

 

更に、アルバイトも入れている。週に3日、夕方からラストまで4、5時間の飲食店での仕事だ。立ちっぱなしで、運動量も多い。クタクタになるそうだが、それでも働くのは、秋に参加予定の海外研修のためだ。念願のイスラエルを訪れる。費用捻出が目的と思えば、力もわく。「初めてお給料をもらった時は嬉しかった。お金を稼ぐのがどんなに大変だか分かりました」。常に前向きだ。

 

頭も体もフル回転の宮川さんの毎日を支えているのが、学生寮だ。同世代の学生が、大学や学年を問わず入居している寮。平日は朝食と夕食が付いているので、どんなに忙しくても栄養の考えられた食事がとれる。そして、なんと言っても寮母さんや、先輩たちが優しいという。

 

「先日、(苦しかった過去を)フラッシュバックして過呼吸になった時も、親身になって話を聞いてくれました」

 

九州からたった独りで上京し、新しい環境に飛び込んだ宮川さんにとって今、寮での人間関係は大きな支えになっている。

 

5+

大学生活は始まったばかりだ

 

自室から出られない。友人の母親が児相に連れ出してくれた

 

社会的養護の子になったのは、中学3年の8月。夏休みだった。虐待が理由だ。事情を知って小さい頃から気にかけてくれていた近所の友人の母親が、児童相談所に連れて行ってくれたのがきっかけだった。

 

暮らしていた家は「かなり田舎」にあり、児童相談所には車で何時間も運転しないと行けなかった。たとえ児童相談所の存在を知っていたとしても、自ら助けを求めていける場所ではなかった。

 

それ以前に、心身ともに自ら動き出す状況ではなくなっていた。全く眠れておらず、常に緊張して力が抜けない状態で、幻覚や自傷行為とも無縁ではなかった。言葉、暴力によるダメージで、起き上がるだけで息切れがし、自室から出られない日々が続いていた。学校にも中学2年の後半から行くことができないでいた。

 

友人の母親に連れられて訪れた児童相談所では、まず病院で診てもらうよう言われた。受診したところ精神科に入院となった。そこでしばらく療養し、8月に児童養護施設に移った。

 

これに伴って転校もし、新しい学校に通う生活が始まった。ところが、新たに問題を抱えることになった。「先生によるセクハラを受け、契機に再び不登校になってしまいました。全く大人が信じられなくなりました」

ただ、遅れていた勉強を挽回したいという気持ちは強く持っていた。さかのぼって学習し、力をつけて進学校を受験。見事合格した。特進と呼ばれる10人しかいないコースで高校生活をスタートさせた。

 

6+

勉強は好きでたまらない

 

不登校から一転、勉強が楽しい。進学したい。

 

担任は「死ぬ気で勉強しろ」が口癖の、初老の男性英語教師だった。1年の入学当初から、50単語を覚えるためのテストが毎日あった。定期テストもユニークで、問題用紙は、複数の紙が綴じられた冊子。時間に対して分量が多かった。

 

「お前に100点をとらせないようなテストを作っている」と言い切る先生だったが、指導は厳しさの中に温かさもあった。お陰で、「テストが楽しみになりました」。そして、英語に限らず、勉強が心から好きになった。性格も明るく前向きになり、入学時には自立するため卒業後はすぐに就職しようと考えていたが、次第に大学進学を考えるようになった。

 

勉強に打ち込むようになるにつれ、施設暮らしの中で静かな学習環境を持てないことが悩みになった。施設の構造は吹き抜けとなっていて、違う部屋のテレビの音や話し声は筒抜け。進学を目指して集中的に勉強するには難があった。自習のためだけに学校に行って勉強したり、施設の協力を得て、特別に面会室と呼ばれる個室を使わせてもらったりした。

 

7+

読書が好き。新聞もよく読むが、高校時代に比べて十分に時間がとれないのが残念なところ

 

こうして勉強に打ち込んでいた高校2年の終わりごろ、人生を変える本との出会いがあった。『池上彰のやさしい教養講座』だ。読書が好きで、高校の図書館でもよく本を借りていたが、これもその1冊だった。

 

「幼いころから母親に自分のことを否定されて育ったからか、本当のことを知りたいという思いが強くありました。心理学や、宗教学、社会学などいろいろ読む中で、この本をたまたま手に取りました」

 

そこには、ほんの数ページだが、パレスチナ問題について書いてあった。近年、難民と言うとシリア難民が注目を集めているが、パレスチナには70年もの間、ずっと苦しんでいる人がいると知った。外から見ていては分からない苦しみがあると察した。

 

「私の母親も外から見るといいお母さんだけれど、私は、人の目の届かない家の中でずっと苦しんでいました。自分の苦しみは、難民の方と比べると小さいですが、苦しんでいる人の力になりたいと思いました」

 

パレスチナ問題のために尽力できる人になろうと決めた。中でも、多くの国やNGOと協力して解決を目指せる国連職員を、将来の夢に定めた。

 

 

奨学金で得たお金を生かす。同じ境遇の学生との交流に喜びも

 

進学を決意し、国際的な人材を輩出していることで知られる上智大学に入学を希望した。様々なハードルがあったが、幸いにして夢の奨学金を得ることができ、実現した。学費に加え、食事付の学生寮で暮らす生活費が給付されることで、アルバイト漬けになったり、体調を崩したりすることなく、夢に向かって全力投球できている。

 

8+

たった独りの上京。夢の奨学生の仲間や、高校時代の同級生とのつながりが励みに

 

奨学金を得られて良かったことは、これにとどまらない。経済的な援助と同じぐらい感謝しているのが、他の奨学生との交流だ。

 

「奨学生の友達ができたのが嬉しかったです。東京に独りで行くのは心細いけれど、奨学生のつながりができると思ったからです。財団ビルも近くにあるので、何かあったらいつでも相談に行けるという安心感もありました」

 

目下の楽しみは、イスラエルへの研修だ。ライフワークとしようとしている問題の現場を、この目で見てみたい。その一心で、奨学金の自己研鑽費を申請し、費用の一部を補助してもらうことが決まった。これは、4年間の受給期間のうち1度しか申請できない特別な費用だが、早々に利用してしまうことにためらいはない。夢の実現に向けて、できることは今やる。それに価値を見出している。

 

夢に向かって大好きなことに挑戦し続けている毎日は、忙しくても、楽しいことばかりだ。「大学生になって、学びたかったことが、全て用意されていた。戸惑うくらい嬉しい」。喜びをエネルギーにして、4年間走り続ける。

 

9+

上智大学のプレートを背に、笑顔を見せる宮川さん

 

社会的養護の後輩、申請を予定している人へのメッセージ

 

「全く同じ人などこの世におらず、一人ひとりにアイデンティティがある。施設や里親で暮らすというのも、そのアイデンティティの1つ。家が苦しいなら無理して留まることはないし、自分が安心できるところにいるのが一番。だから、社会的養護の生い立ちをひけ目に感じないで、少しでも興味があることや、やりたいことに挑戦してほしい」

 

「夢は、諦めない限り可能性はなくならない。もし、お金がないとか、施設だからとかいう、自分のやる気以外の要因で諦めようと思っていたとしたら、もったいない。絶対無理じゃない。諦めないで」