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採択奨学生の動き

第1期奨学生インタビュー第2回

施設出身者として胸を張って生きていく

1日本財団夢の奨学金がスタートして初めての夏、第1期奨学生4人にお話を伺いました。彼らの現在の生活や生い立ち、奨学金を得ての思いを順にレポートしています。第2回は、中京学院大学短期大学部健康栄養学科1年、飯森美羽さんです。

 

 

飯森美羽、18歳。夢はスポーツ栄養士

 

大勢の買い物客らで賑わう週末のJR名古屋駅。その喧噪の中、飯森さんの声が耳もとにすっと届いた。「お待たせしました」。滑舌が良く、明瞭な声。初対面の奨学生を驚かせたほどの声の持ち主だ。

 

この春、10年以上暮らした児童養護施設を出て大学に進学した。授業は平日の2日間は半日のみ。だが、それ以外は朝から午後4時ごろまで続く。栄養士の勉強は幅広い。栄養価を計算して献立を作り、調理をするだけでなく、幼稚園で食育の実習もある。子どもたちに30回は噛むよう促すため、キャラクター入りの可愛いカードを作る準備も必要だ。授業が終われば、すぐにバイト。自宅から歩いて40分かかる飲食店で、終了が深夜0時になることも少なくない。朝から晩まで体力勝負だ。

 

出身施設は、おむつをしている子から高校生までの約40人が暮らしていて、「みんなめっちゃ仲がいい」。出発の日には涙があふれて言葉が出ないだろうからと、事前に手紙を書いた。まだ字が読めない子を除いて、職員を含む約30人。一人ひとりに向けて思いを込めた。栄養士を目指すようになったのも、施設生活の影響が大きい。良い思い出ばかりがよみがえる。「施設の子は、大学進学を諦めがちだけれど、私の姿を通して、できないこともないんだと感じてもらいたい」。日々の頑張りは、大好きな施設への恩返し、後輩たちへのメッセージでもある。

 

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施設の夏祭りには、卒園生仲間とみんなで訪問。「施設は、私にとって家なんです」

 

痛い思いをする生活は異常なんだと施設で知った

 

母親と5歳上の兄と家族3人で暮らしていた小学2年生の夏、虐待がきっかけで施設に入った。ある日、精神面のバランスを崩した母親から、首に剃刀を突き付けられたのだ。たまたま居合わせた大人の通報によって保護。それまでの虐待も明るみになり、兄と共に施設の門をくぐった。それを機に転校も経験。夏休みの出来事だったので、当時の友達とは別れも言えずそれきりとなった。

 

初めての集団生活。突然、幅広い年齢層の子どもと一緒に過ごすことになったのが怖かった。家にはこれまで大人の男性がいなかったから、生活の場に男性職員がいることも受け入れがたかった。兄の姿が見えなくなるとパニックに。夜は、部屋が異なるため兄と離れなければならず、毎晩のように泣き叫んだ。男女の居住スペースを分ける廊下の境界線ギリギリまで出てきた兄に、落ち着くまで抱きしめてもらう夜が続いた。

 

しかし、ある時に気が付いた。「あれ?私たち、たたかれてない。ご飯もあったかいじゃん」。

家での生活は、母親からの暴力で痛い思いをすることが多かった。兄も、おもちゃの車のタイヤに髪を巻き付けられたり、包丁を向けられたりしていた。自分の世話は兄がやってくれ、食事は兄と2人、冷蔵庫にあった冷たいウインナーを分け合うなどしてしのいでいた。「うちでの生活しか知らなかったから、それが当たり前になっていたんです。施設にきてようやく普通の暮らしを知りました」。優しい上級生にも気をかけてもらい、次第に周囲の環境にもなじんでいった。

 

様々な年の子どもたちと、半ばきょうだいのように暮らす生活。下の子を可愛がる年上の子を見ながら育ち、自分も自然とそうふるまえるようになった。小さい子のおむつを替えるのはお手のもの。よく面倒を見ていた子が「いやいや期」に入ると、寂しいなと思うほどだった。学校生活でも、中学に上がるとソフトボール、高校では野球(軟式)、バドミントン、写真、軽音楽と4つの部活に入るなどして、多くの仲間に恵まれた。高校時代には生徒会長にも選ばれ、学校の誰もが知る存在になった。

 

3s

施設時代、スリッパの音を聞くだけで、どの職員なのか機嫌も含めて言い当てられた。

「施設の子は他者をよく観察する目と耳を持っていると思います」

 

ただ、思春期を迎えると、職員とぶつかることが増えた。その時に支えてくれたのが、中学校で3年間担任をしてくれた女性教諭。今まで出会った大人の中で一番、自分の境遇をすっと受け入れてくれた人、そして「人には感謝しないといけない」と繰り返し諭してくれた人だ。「母親に対しても、虐待をされたことは怒ってもいいけれど、産んでくれたことは感謝しなきゃ」と言ってくれた。「大好きだっていう今の施設で暮らしているのも、学校に来ているのも、産んでくれたからこそなんだよ」とも。残念ながら高校進学後に他界してしまったが、今でもその言葉は胸に刻まれている。

 

一つではなかった夢 進路を決める時の希望と苦しみ

 

目標にしているスポーツ栄養士には、中学生のころから徐々に興味を持った。スポーツ好きでテレビでもよく試合を観戦していたが、ある日、ニュースで流された体操選手のインタビューに目が留まった。「1キロ体重が変わると、技が失敗する」という話に面白いと思った。ファンだった野球選手の成績も筋力をアップしたことから向上したと聞き、アスリートの体づくりに携わる仕事を意識し始めた。

 

その中でも栄養士に照準を定めたのは、施設暮らしで小さい頃から栄養士を見ていたから。将来の職業を考えた時、いつも身近にいた栄養士、しかも大好きなスポーツに関われるスポーツ栄養士を思いついたのは、自然な流れだった。

 

アスリートが打ち立てる様々な世界記録の背後には、多様な専門職からなるサポーターチームの存在がある。スポーツ栄養士もそのメンバーの一人として、「世界新」を目指す戦いに挑むのだ。そのダイナミックな挑戦に、自分も加わりたい。そう思った。

 

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細かな計算が欠かせない栄養の勉強。電卓と食品成分表はいつもカバンに入れてある

 

しかし、実は夢は一つだけではなかった。ずっと温めてきた、大切な夢。声優やラジオパーソナリティーといった「声の仕事」だ。小学4年生の時、学習発表会で児童文学『エルマーの冒険』の劇をやることになったのが起点。「目立ちたいというだけの理由で、主役に立候補したんです。それまで劇は何度か経験していましたが、主役は初めて。結果、表現することの魅力にはまってしまいました」

 

中学からは、特に声で表現することに関心が強まり、高校進学後には、そうしたことが学べる大学や専門学校の体験学習に積極的に参加するようになった。4つの部活と生徒会活動の合間を縫っての参加だったが、大好きな声の勉強。訓練にも夢中に取り組み、技術を確実に磨いていった。

 

しかし、プロの世界は厳しい。これで生計を立てられる人はごくわずか。しかも、念頭に置いていた専門学校の学費は一般の大学に比べて高額だった。生活費も併せて、果たして自分のバイトで工面できるかも現実的に考えた。高校卒業後の進路を決める時、真剣に悩み、日本財団夢の奨学金の出願時には、もう一つの夢の方を追おうと決めた。

 

応募はしたものの、合格通知が届いたのは、思いがけないことだった。この奨学金が得られていなかったら、今のような生活はまず送れていない。学費と生活費を工面するため、バイトは休みなし。光熱費を抑えるためにクーラーも入れず、街でのどが渇いてもジュースには手が出ない。服を買ったり、友達と遊びに行ったりするなんてもってのほか――。それを思うと、感謝しない日などはない。「まず日本財団に。そして、この情報を仕入れてくれた園長、どうやって書類をかいたらいいかを一緒に考えてくれた職員にも、同じく感謝の気持ちでいっぱいです」

 

信頼できる人の支えがあって今がある、これからがある

 

お金だけでなく、ソーシャルワーカーの荒井さんにも支えられている。月に一度のペースで会うほか、何かあればいつでもSNSなどを使って連絡を取る。特に、一人暮らしを始める時は本当に心強かった。施設出身者の多くが初めに戸惑うお金の管理、突然やってきた独りの時間の寂しさ。そうした、“ならでは”の課題を知っている荒井さんには、安心して何でも話せた。「気配りが細やかで、性別は気にならない。夢の奨学金の両輪の一つ。お金と同じく荒井さんは私の学生生活に欠かせない存在です」

 

施設を巣立って4カ月。社会的養護出身というだけでバイト先から断られるなど、奨学金をもらえたからと言って全てが順風満帆というわけではない。しかし、現在のバイト先の人たちは、自分の境遇を知ったうえで受け入れてくれ、あえて栄養のあるものやバランスを考えたメニューを賄いで出してくれたり、終了後も車で自宅まで送ってくれたりと、親身になって支えてくれている。

 

これまで信頼できる人に出会ったら、自分の過去を隠さずに話すようにしてきた。隠すと、『自分は人とは違う。過去を隠さなきゃいけない存在』と自分で認めてしまうことになるからだ。ただ、施設に対して、少年院のように悪いことをした子が入るところだと思っている人や、よく知らずに良さを否定する人がいるのも事実。正直、気分が落ち込むときもある。しかし、経済的に進学を断念した子も多い中、下を向いてはいられない。これからもありのままの自分で勝負し、胸を張って進むのみだ。

 

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来年度には20歳に。親権者に左右されず、自分の意志で契約が結べるようになり、

社会的養護の若者が抱えるハンディから一つ解放される。

「夢に向かっての転機にしたい」

 

 

社会的養護の後輩、申請を予定している人へのメッセージ

 

「感謝の気持ちを大切にしています」

 

「夢がかなった自分をイメージするのが大事。明確にイメージできると、勇気や元気がわいてきます」