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採択奨学生の動き

第1期奨学生インタビュー第5回

将来の夢に優劣なし 型にはまらず自分らしく

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日本財団夢の奨学金がスタートして1年。初年度の振り返りも含め、第1期奨学生に改めてお話を伺いました。名古屋文化短期大学メイクアップアートコース1年、小林爽夏さんです。

 

小林爽夏、19歳。夢はメイクアップアーティスト

 

少しずつ暖かくなり、厚手のコートが脱げるようになってきた3月上旬、小林さんは、東京都内のビル街にいた。大手化粧品会社の面接を終えたばかりだ。日帰りで名古屋から上京した疲れも見せず、丹念にメイクをした顔で快活に語り始めた。

 

メイクアップアーティストを目指す小林さんや同じコースの仲間は、他の業種を志望する学生たちより一足先に、1月下旬から就職活動の本番を迎えている。「入学してから今が一番忙しいかも」と充実の笑顔だ。

 

昨年4月に入学してからまもなく1年。スキンケアや、メイクの基本を学んできた。9月には、メイクアップ技術検定3級に合格。順調に夢に向かって進んでいる。

 

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「メイクが大好きな友人、先生に囲まれて学校生活はとても楽しい」

 

「メイクの基本として学んだのは、人の骨格を意識したベースメイク。その人に合ったメイクと言えばいいでしょうか」。顔が長い人や、えらが張った人など、その人の骨格によって、ベースメイクの方法は異なることを、小林さんは生き生きとした表情で説明する。

 

学業は忙しく、宿題ももちろんある。例えば、「自分の顔の写真を撮って、目や口などのパーツの間隔を測る」という課題があった。自分の顔を認識するための作業だ。漫然と鏡を見るだけで判断するのではなく、実際に計測して客観的に顔を知る。パーツの間隔には、最も美しいとされる「黄金比」があり、それに当てはまる著名人の顔は、確かに文句の付けようがない美しさだと実感した。

 

こうした実習系の勉強に加えて、座学の授業もこなす。これもメイクアップアーティストコースならではで、英語という一般的なものだけでなく、化粧品に関する歴史など専門的なことも学んだ。

 

海外にも行った。9月に米国ポートランドで行われた2週間の英語研修と、今年2月に1週間の日程で参加した米国ニューヨークでのメイク研修だ。

 

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ポートランドでの英語研修を修了し、担当の先生と一緒に記念撮影

 

ポートランドでは、ホームステイをして、朝から晩まで英語漬けの生活を体験した。相手からの質問への即座の返答は難しいと実感したが、「簡単な日常会話なら何とかなる」と自信も得た。ニューヨークでは、メイクの学校で実技を学んだ。黒人の人、白人の人にメイクをするのは初めてで、色を混ぜて作る肌のベース作りが一筋縄ではいかないことを知った。

 

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ニューヨークでは人種の違う人にメイクを初体験。「日本人より難しかった」

 

4月から次々に新しいことを学び、多様な体験にチャレンジしてきたが、「正直、メイクのことは大好きなので、きついとか全く思わなかったです」とこの1年を振り返る。2年生になると、エアブラシなどを使う特殊メイクを学ぶ予定で、「残りの1年もとても楽しみ」と声を弾ませた。

 

「家庭的な雰囲気の中で育った」社会的養護時代

 

物心つく頃には、児童養護施設にいた。年中の時に小規模施設に移り18歳で施設を“卒業”するまで、そこで育った。

 

小規模施設は、もともといた大型の施設の運営者が、地域の中で暮らすことを重視して設置したものだった。「本当に家庭的な雰囲気だった」と小林さんは穏やかな表情で思い出を語る。

 

施設は一軒家だった。そこに、女性の職員さん2人と、6人の子どもたちが暮らした。小林さんの上に、女の子2人、男の子が2人いて、下に男の子が1人いた。職員さんは姉妹で、妹さんの方は、小林さんを0歳から見てくれていた人だった。

 

その家で一緒にご飯を食べた後、みんなでトランプをした光景が今も、楽しい思い出として胸に残る。「違うホームの子から、いじめなどがあったと聞くことがあるけれど、うちでは絶対になかった」と断言する。

 

奨学金を申し込むにあたって、自分がなぜ社会的養護の子どもになったのかを間接的に知ることになったが、それまで、自分の生い立ちはあまり気にならなかった。それは一緒に暮らす職員さんや子どもたちとの関係が良く、自分の“家”を心の中で持っていたからではないかと思っている。

 

施設を卒業した今でも、職員さんのいるところが自分の帰る場所だと感じている。施設にいるころから、職員さんの実家にお邪魔することがたびたびあり、彼女の母親からも、孫のようにかわいがってもらっている。正月などの里帰りは、その家に。「私には帰省する場所がある」という感覚に包まれている。

 

悲しい思い出は、この職員さんの異動。小林さんが中学校2年の終わりの出来事だ。つらくて毎日泣いた。しかし、これがきっかけで、自分で生きていくという心構えもできたという。

 

「将来の夢を定めて、学費をためるためにバイトをすることも決めた。今振り返ると良かったのかもしれない」。小林さんは、高校1年生から将来の進学を見据えてバイトを開始した。

 

 

夢のきっかけは職員さんのお化粧姿

 

小林さんが定めた夢は、「メイクアップアーティスト」。お化粧が何よりも好きだったからだ。

 

お化粧との出会いは担当の職員さんだ。小さい時から、彼女がお化粧をしている時、そばから離れなかった。様々なお化粧グッズに、幼心はときめいていた。使い方も自然に頭に入り、「はい、リップ」など次に使うお化粧品を判断しては職員さんに手渡してあげていた。「小規模の施設だったから、このように職員さんのお化粧姿を間近で見る機会があった。恵まれていた」と小林さんは言う。

 

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小林さんがいつも持ち歩くお化粧グッズ。必要最小限のものを厳選

 

中学生になると、いよいよ自分でフルメイクをしてみた。嬉しくて、「どう、どう?」と職員さんや、同じ家で暮らすお姉ちゃんたちに見せてまわった。興味があるのはお化粧だけではなく、「なりたい職業」も美容師からネイリストまでいくつも浮かんでいたが、次第に、お化粧に関係した仕事に就きたいと思うようになっていった。

 

進学先として、まずは美容専門学校を考えた。ただ、就職してからの将来を真剣に考えていた小林さんは、専門学校ではなく大学や短大に進学した方がよいのではと心配をしていた。学費を計算するうえでも、学校選びは重要だった。

 

進学先の決め手に欠けるままバイトだけは続けていた小林さん。高校3年の6月頃に、予期せぬところから、耳寄りな情報がもたらされた。お世話になっていた美容師さんから、名古屋文化短期大学の名前を教えてもらった。「メイクを学ぶんだったら、ここがいいんじゃない」と言われて早速、学校について調べ、気持ちは固まった。

 

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勉強していることは自分のメイクにも役立っている

 

私の夢で、奨学金がもらえるのか

 

進路が定まったのは良かったが、学費を改めて計算すると大変厳しいことが改めて浮き彫りになった。高校1年からからコンビニでバイトをしていたが、それまでは志望校が定まっておらず、学費が足りるかどうかの見極めがつかないでいた。しかし、高校3年生で志望校を決めた時、足りないことが明確になった。

 

「奨学金を月に10万円もらえたとしても、月に15万~20万円を今稼いでおかないと足りない計算になりました。そこで、コンビニに加えて飲食店での仕事も加えて掛け持ちし、土日もシフトに入ることになりました」

 

受験を控えながら、可能な限りの時間を使ってバイトをする生活。それでも、「入学できても、お金が足りなくなって続けられないかもしれない」という心配が頭をもたげた。

 

懸念を抱えたまま迎えた高校3年の12月、施設を通じて、日本財団の夢の奨学金を知った。園長先生から勧められ、資料を見てみると、「学費も生活費も出て、しかも返済の必要がない」とのこと。それまでに目にした他の奨学金の中で一番条件が良かった。

 

合格したら、どんなにいいかと思った矢先、小林さんに新たな心配が生まれた。「自分の夢で大丈夫か」という心配だ。

 

「警察官や学校の先生など、硬い職業を夢に持っている人たちが選ばれるのだろうなと思ったんです。メイクアップアーティストという私の夢は、社会的養護の子どもに対する奨学金にはそぐわないのではないかと心配しました」

 

しかし、お金が足りなくて夢を断念せざるを得ない瀬戸際にあった。思い切って申請を出してみることにした。合格できないことを想定して、施設を出て独り暮らしをする予定の家も、最も家賃の少ないところにして備えた。

 

結局、小林さんの心配は杞憂に終わった。無事合格。通知を受け取った時、思わず叫んだ。「やばい、受かってるー!」

 

普通の生活が送れることへの感謝

 

奨学金を得られてよかったことを尋ねられ、小林さんは「普通の生活が送れること」と即答した。高校3年間は、バイト漬けだった。部活もなく、一般家庭の友だちと遊ぶお金も時間もなかった。

 

今も、勉強のために使う化粧品などにお金がかかるためバイトはしているが、それでも自分の時間が持てている。大好きなことが学べる短大にも通っている。そして、夢の職業に就くための、ステップを確実に上っているという充実感もある。

 

奨学金がなければ、どうなっていたか。同じ境遇の友だちには「夜のアルバイトに流れた」人が少なくない。小林さんもお金のために、多くのことをあきらめ、意に沿わぬ道に進んでいた可能性があるという。

 

最近は、学校の先生の手伝いで本当の仕事の場にも身を置くようになった。先生は教鞭をとる傍ら、実際に活躍しているメイクアップアーティストで、ファッションショーなどのメイクを担当している。小林さんは、貴重な経験を積めるその機会をとても大切にしている。

 

1年かけてメイクの基礎を学んだが、プロである先生の背中を見て成長する小林さんの口からは、「自分はまだまだ」と謙遜の言葉がたくさん出る。メイクは若い女の子の多くにとって関心がある事柄なので、小林さんに、「やってほしい」と声が掛かることもあるが、それにもまだ応えないという。尊敬する人や、興味を同じくする仲間に囲まれて目下、学びを重ねる日々だ。

 

4月を迎えると2年生。そして、来年の今頃は社会人になる。「この春は、勉強に加えて就職活動も頑張りたい」。夢に向けてまた一歩前進する。

 

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メイクアップアーティストへの夢を語る小林さん

 

 

社会的養護の後輩、申請を予定している人へのメッセージ

 

「社会的養護の子どもたちは、将来の夢を『施設の職員さん』などに限定しがちなのが気になります」

 

「夢は夢。実現可能性をまずは頭からはずして、もっと広く自分の好きなことを考えてみてほしい」